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考古学に目覚める

 横溝正史の文庫本の表紙絵で有名な杉本一文さんのトークショーの時に知り合った瀧嶋さんというお姉様に杉並の考古展に連れてってもらった。瀧嶋さんは絵を描いたり、薬剤師だったりで今は考古学にはまっている人で、僕が帯状疱疹にかかって弱っていたときに「土器をみれば腹が据わる」とアドバイスしてくれた人です。というのも、大地震も起った時で世の中が騒いでる時に彼女が言った一言で僕の生きて行く上で価値観が変わるかもしれない事を言ったのです。それが、古代人からこの火山や地震の真っただ中の日本で力強く生きて来ているのに何を騒いでいるのかと。「腹が据わる」というのは土器をつくる時にもたもたしていたらあんなものはつくれない、迷わずに手をすすめるその勢いが古代人の魅力なのだと。そういわれるとそうかなと。土器をみて何か感じたいと思い今日見に行ってきました。瀧嶋さんに色々解説してもらいながら、出土遺物の数々をじっくりみてきました。何か不思議でした。これからもっと見に行きたいです。人間のルーツを感じ、腹が据わる為に。
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日記を書く

 板尾創路さんの『板尾日記』を今頃読んだ。言うまでもなく板尾さんの日記であった。これを読んだからどうというのはない。僕は10年以上前にトムの「王将」松尾スズキ氏演出でその時舞台初の板尾さんが主演の作品でご一緒させてもらったときの思い出があるので、親近感を抱きながら完読しました。心配になったのは板尾さんは頭痛してる日が多いということ。忙しい人だけど心配になりました。この本は2006年の日記でしたので、今も無事にいますから余計な心配なのかな。続刊が何冊も出てるんで読まねば!!人の日記に過ぎないんだけど。
 そういう僕も日記を実はずっと書いてます。毎日ではないんですが。25歳くらいから書いてるもんでノートは20冊を超えました。一体このノートはどうなるんだろう?まあ人にはもちろん見せれないことも多々かき綴ってます。でも僕の中ではいつか”本にできれば”とちゃんと野望はあるんです。まあおもろい人生歩んでる方だと思うんでネタはたくさんありますよ。これだけ書き続けたんで字も大分達者になりました。継続は力なりです。
 あと、芝居仲間に東北ボランティア誘われてたんですが今日断念しました。かなり僕的に悩みました。また帯状疱疹になるんじゃないかくらい(まだ痣が消えてないんですが)悩んだ末の結論をさっき出したばかりです。
 今だからこそ行く時なんですが、自分の今の情けない生活な上、6月に予定してる舞台2つの稽古を休んでまでして行っていいのか。後々にどっちが大きい事か・・助けに行きたい!!でも自分の目の前の事にまず責任を持つこと。東北に行く仲間との絆もある。彼らには無理せず無事に帰って来て欲しい。だからこそ、僕も今まで以上に稽古に集中したい。一日も無駄にしたくない気持ちが強くなった。

農大劇研とひとりカラオケ

 昨日、母校農大演劇研究部の公演をみてきた。野田秀樹の『オイル』をやっていた。僕からしたら18歳以上したの後輩の芝居をみるわけで、向こうからしたら逆におっさんOBがみにきたと思うだろう奇妙な関係である。農大劇研あっての僕であり、芝居をやるには恵まれたアトリエをもっている。ここでの思い出は貴重である。これだけ現役と歳が離れた今でもなにかしらつながりを持てているのがありがたい。今の幹事と一徳会で一緒に芝居をしたから繋がっているのだが、彼のおかげで去年今年のジーパンズ公演にも部員をお客としていっぱい連れてきてくれた。だから、こっちもいけるときはなるべく後輩の芝居を観に行ってあげたくなる。僕は野田秀樹の芝居にはあまり馴染みがないのだが、彼らは立派に演じていた。巧い下手とかよくわからなくなる。彼らの演じている世界は間違いなく野田ワールドであり感動するかしないかだけだろう。終演後の彼らはもう20歳前後の若者に戻っていた。笑顔がみんなかわいい~。彼らに刺激をもらった。これからも応援したい。
 そして、昨日の夜中にふとカラオケに行きたくなり、めったに会わない無名塾の川村さんとなぜか行きたく思い誘ってみるが岡山で公演中だった。そして、川村つながりで昔イッセーさんのワークショップで知り合ったときに登録して以来連絡してなかったお笑いタレント”タンポポ”の川村恵美子さんに間違って電話かけてしまい夜中で向こうには未表示でも丁寧にでてくれ、覚えてくれてたかは別として名を名乗り丁重にお詫びして電話を切った。彼女の活躍はご存知の通りで。 
 で、歌いたかったから今日ひとりで渋谷のカラオケ館に。最初抵抗あったが部屋に入ったら気楽なもんで、どんどん歌った。カラオケは好きではなかったし、自分から行こうなんて思ったことない。ましてひとりでなんて。でも、歌手とかが練習でひとりこっそり行くと聞いていたので有り得ない話でないし。ストレス発散になったし、何より発声の練習になった。もっと早く知っておけばよかった。暇な時に軽くひとりで行ける。ほんとは友達と盛り上がるもんだが、それはそれ。練習にはまたとないものを発見できたと充実した気分になれた日でした。

『終わったな』という話

 いつ死んでもいいと思って生きている。でも、この前の大地震の時は『終わったな』とあきらめる気持ちを体感した。あのときは家で帯状疱疹の為静養してたとこでした。我が家はかなり古い木造アパートでなにかしら毎日揺れてるし、人が外の階段を上り下りするだけで部屋まで響くユルユルアパートなんです。それで、あの地震ですからゆれるゆれる。ガラスの食器やらは割れに割れました。家にいたからいいものの、出掛けてて夜帰ってきてたら間違いなく割れものを踏んでただろうと思うとゾッとします。あのストレスで帯状がまた治りづらくなったのでした。揺れている時は無力でした。何もできず収まるのを待つだけでした。いや、収まらないかもと思ってました。隣の家は瓦屋根が落ちてました。もう一度来たらホント危ないアパートです。来年更新なんでそろそろ考えてます。
 『終わったな』といえば、この前のブログに書いた、映像会社で舞台監督兼役者をしたという話の付録です。公演初日の前日(つまり初日の夜中)に道具をそろえる為に終電近くに実家にかえり近所のドンキーホーテへ夜中車をだして買い物にいきました。当時はまだレーシックしてなかったので0・1ない裸眼の目で運転しました。丁度店に目を矯正できる眼鏡(プラスチックの眼鏡の形をして、レンズのとこに無数の小さな穴があいてる焦点を合わせる為の子供だましの物)が千円くらいで売ってたのでそれも買った。3時くらいだったろう。買い物を終え車に乗って家に向かった。交番の前を通ってかえる。と、そのうちにバックミラーにパトカーが見え始める。事件かな?なんて思いながら運転してても追い抜く気配もなく、ひたすら自分の車の後ろを走っている。なんかおかしい~。車の窓を閉めてたのと疲労のピークで耳が遠くなってたからずっと気づいてなかっただけだが、パトカーはずっと僕の車に『停まりなさい」とサイレンを鳴らしながら呼んでいたのだ。さっきの交番から追いかけてきていたので、500メーターは”逃走”していたことになる。追われる理由が分からないまま、トンネルの中で車を止めた。そして、僕の車の前後にパトカーが止まりおろされる。そしてお巡りさんが寄ってきて一言『ライト付いてないよ』・・え~である。全く気づいてなかった。向こうにしてみれば無灯火の車がひょうひょうと交番の前を走り抜けて、警告しても止まらないのだから逃走車として怪しむのは当然だ。そこで、僕はパトカーに乗せられ、車はお巡りさんが乗って交番へ。正にドラマのワンシーンを体験した。交番へつれてかれると年配のお巡りさん3人にかこまれての取り調べである。持ち物検査。実はさっき話した眼鏡がここで大ピンチの心境に陥れるのだ。見えない目で運転してたのがその眼鏡をもってることでバレてしまう!!無灯火逃走に加え眼鏡不携帯で罰がおおきくなる・・しかしお巡りさんは気にかけませんでした。セーフ。ひたすら取り調べは続いた。親にどう言おう、あと何時間後には劇場にいかなきゃならない。『終わったな~』と思った。丁度持ち歩いていた芝居のチラシをみせて貧乏役者の泣きで勘弁してもらおうと閃く。チラシには実際顔写真も日程も入っているから、さすがに嘘ではない。お巡りさんもそれをみてかなり同情してくれたのである。罰金は高かったが無事に家に帰ることができた。無灯火で走ってたとは・・。よほど追い込まれてたのでした。
 いつもに増して長く書いたが『終わったな~』という話。 

ひとり呑み

 よくゴールデン街に呑みにいった時期があった。お金に余裕がないとなかなか行けないとこだ。あとは心が寂しい時はひとりいきたくなっていた。初台の近所でひとり呑み行けるとこはないかと色々さがしてたとき、参宮橋に向かう住宅地の中に一軒さびれた呑みやがあった。店の前に赤い看板で『道』と人文字はいっている。まるで猪木ワールドだ。看板に惹かれはいると闘魂的なものは一切なく、高齢のおばちゃんがカウンターのなかにいるだけの普通の小さな呑みや。夕方から行くも呑めど呑めどお客は来ず、カウンターのよこにあるテレビを二人でみながらたわいもない話をしてたら、仲良くなり通うようになった。おばちゃん曰くオダギリジョーもきたという店にしては、いたって普通の店。お客があまりいないから逆に行きたくなる。酔っぱらって夜中に店の前を通った時におばちゃんが店を閉めようとしてたのだが「一杯なら入っていいよ」と言ってくれた時は”あ、これだ!”と感激したもんだ。そんな日々が2年前のことで、今年に入り何度か店の前を通ってもやってる気配がない。今日通ったら、店の前に冷蔵庫やら古くなった家電が置いてあり。人を歓迎する体制とは程遠い状態になっていた。もう営業はしてないみたいだ。またひとつ思いでの店がなくなった。好きな人がいたら連れて行ってあげたかった店がいくつもあるのだが未だに実現しないまま僕だけの思い出の店がひとつ増えた今日でした。

神頼み

 我が自転車が調子いいので、代々木八幡神社へ先日の福金センターのお礼参りに行ってきました。貰い物の自転車だけどよくもってくれてるヤツです。調子悪いと車輪からカタカタと疲れてる音を出すのだがこの頃は無音で調子いい。自転車に関係なくお参りは行くのですが。
 僕のこだわりとして続けてることのひとつに、舞台に携わったらその稽古中と舞台終了後に絶対お参りに行く事は欠かしていません。舞台とは生身の人間のやることですが、どこか想像以上の力が働く瞬間があるわけでそれってそういう”力”が働いてるのかなと信じてる自分。舞台始めた頃、”フラクタル”というユニットにお世話になってて主役を頂いた時は近所の神社で夜中にお百度参りにもう2度余分に付けたお百二度参りをしたもんです。そのご利益だったのか今ではプレミアものの舞台『ちからわざ』の主宰佐藤二朗さんにその時の僕をみてオファーをいただきました。
 お参りで思い出にあるのは、映像会社の研修生をしていたときの事。研修生は30人位いたのですが、発表会をかねて舞台をやろうということになりほとんど舞台経験のない今だから言えるのだが面白くないメンバー達がダブルキャストで、社長の書いたつまらない話でやろうということになり、舞台経験のある僕が役者兼舞台監督もやらされるはめになった。舞台装置も僕が考え道具も用意した。皆さんに想像してもらっても理解してもらえないとこなのですが、演出が社長だったのでもちろん舞台のノウハウなど知る訳なく無責任だったのですが、出演者が素人だらけで舞台のではけから知らない者だらけでダブルキャストなのだから、想像を絶する人達を仕切らなければならず、あの時助っ人で呼んだ石井君曰く僕が相当おそろしい顔をしてたそうだ。長くなったが、公演初日に劇場に向かう途中で小さな神社を見かけたので、みんなの無事を願いお参りしてるとこを、出演者の一人がたまたま見掛けてて、その彼が公演も無事に終わった楽日のみんなが劇場で歓喜してるときに泣き出したのである。それが、僕のお参りに感激したらしく泣いてくれたのだ。見てくれてる人がいて嬉しかった時でした。その事務所はそのあと辞めましたが。あんな経験も今に生きてるのかなと。ここまでくるのに僕も色々苦労話は絶えません。でも、神様は見てるんです、きっと!!

どたばた

 渋谷ギャラリールデコでの福金センター公演無事好評に終わりました。この様な時期ですがご来場いただいた方々には御礼申し上げます。そして、ご一報くれた方々もありがとうございました。 
 今回の作品はCM監督の三木とし彦さんの作演でお会いしたのも初めてでした。全くどういう人か知らないまま、向こうに気にかけてもらい当初はなかった役を付けたしてもらう形で出演が決まりました。出演者のみなさんも初共演の方々ばかりでしたが、最終的にはひとつになれたのでは。三木さんの脚本は計算されたもので我々がもっと”間”というものに洗練されていればもっと笑いのとれたおもしろいものにはできたのかなとも思いましたが・・。今回はトークショーもあり、春風亭昇太さんと松尾貴史さんが日替わりで忙しいとこをきていただき公演に華を添えました。二人とも僕らと同じ楽屋で待機してましたが紳士な方でした。松尾さんのトークの日は稲吉家の両親とめったに来ない姉も観にきてたのですが、松尾さんがチャリティの話題にふれた途端父親が小銭をチャリンと落とす。と、続けてチャリンチャリン・・止まりません。松尾さんも話と掛け合わせて突っ込みを入れる始末。後方でビデオ撮影をしていた僕はすかさず『うちの親です』と言おうと思ったがこれはこれでおもしろいのかなと黙っていた。しかし、うちのかーちゃんはとーちゃんを愛してるんだなと思った。前にとーちゃんの誕生日会で頭にムカデがいたのをかーちゃんがすかさず手で払いのけたという話(結果的にムカデは僕の足元からズボンの中にまぎれこんでいたのだが)をしたが、今回もとーちゃんが注目された時もかーちゃんがすかさず謝っていた。肝が据わっているというのか。そんな公演も”あっ”という間に終わり、昨日はリセットもかねて携帯をオフにして映画を観に行き、一度読んでいた『イッセー尾形の人生コーチング』という本をもう一度読み直しました。この本は芝居になやんだりしてる人には最適な本ですよ。実際に書かれてる内容の森田雄三氏のワークショップにも4日連続で筑波まで通って学んできたので尚更この本の良さがわかります。ブックオフで100円で売ってるかもですんで(安くし過ぎな感もありますが)オススメします。
 もう次の公演の台本もきてるんでリセットしなきゃです!!



好きなのかな~

 今、稽古場が高田馬場なので、自転車で15分くらいで行けてしまう。電車賃が浮くので初台という場所に住んだのはそういう意味では間違いでなかった。帰りにふと思ったことだが『切ない』ことを無意識に求めてるなと。帰り道にも何パターンもあるわけで、新宿のビル街を通るときは人通りのある賑やかな道もいいが、どこか照明の薄い一本道を選んでいたりする。感傷にひたるというか、多摩で育った田舎者がいつの間にかひとり暮らしを始め、都会に住み自転車で下北沢や新宿や渋谷を当たり前のように自転車で通り過ぎてる自分を客観的に観たとき、不思議な気持ちになる。特に夜中に都庁の横を走って帰ってるときはいつもそんな気持ちが一番味わえる。何で俺こんなところチャリで走ってんだろ~って。
 明日から金剛地武志さんと福山亜弥さんのユニット公演「犬に吠える」劇場入りします。今回は転球劇場という劇団の俳優高木凛さんが『切ない』おっさんの味を存分に出してる軽い気持ちで観れる作品になってます。僕は一番出番は少ないけど、この『切ない』おっさんにひょんなことから勇気を与える熱い言葉を発してます。そして、事もあろうに金剛地さんに・・・しちゃってます!気になる方は是非劇場へいらしてください。
 お待ちしております。

心と言葉

 久々にブログを書く気になりました。先日、僕が大ファンの鹿島アントラーズ小笠原満男選手が東北の避難所を訪れ激励してきたというニュースをみました。その数日後サッカー日本代表とJリーグ選抜の試合があり、もちろん小笠原選手もJ選抜で出るというのでテレビでしっかりみました。東北出身の彼は蒼々たるメンバーの中で特にテレビにも映っていて活躍を期待しました。今海外で活躍している、本田選手や長友選手と互角、いやそれ以上の活躍をしていました。J選抜は即席チームだったので、あまり見せ場をつくれないまま前半が終わり、後半には小笠原選手は下がってしまいました。もう少しみたかった。彼のファイトにはきっと勇気づけられたと思います。個人的には、彼がまた日本代表に選ばれて欲しいんですが・・。
 サッカー絡みでは、日本代表キャプテン長谷部誠選手の書いた『心を整える』を読みました。先日のアジアカップ優勝までの苦悩、海外での孤独な戦いなど、心の持ちようがどれだけ大事かを綴っています。そういう本は自分もかなり読みましたが、また参考になることがいくつもありました。
 さっきテレビでバレーボール男子植田監督のドキュメントがやってました。弱小チームだった日本を彼の自衛隊より厳しいという練習で最初は選手とぶつかりながらも、貫き通してでも大事な試合で負けて気持ちが折れそうになったという。そのときに息子から電話で『応援してるから一緒にがんばろう』と言われて勇気が出たと言う。<頑張って>ではなく『がんばろう』である。一緒に戦ってくれているという気持ちで植田監督もみんなでがんばろうという楽な気持ちになったという。次の日から選手にも『一緒にがんばろう』と言い続けその日からチームも快進撃で見事次の五輪出場を決めたのである。僕も高校時代バレーボール部にいたので、植田監督が現役でやっているのをテレビでみていたので知ってたが、最近のバレー男子は確かに弱いイメージがあっただけに
ほんとに強くなったみたいだ。彼が言ってたのは「日本人はシャイだが、団結心が湧くととてつもない強さを発揮する」と。東北の人の為にみんなが団結しようとしている。その力はこれからもっともっと強くなる。
 僕らがやっている芝居も(団結心)で良くなるのだ!!5日から渋谷でやります。まだまだ稽古でよくなります。是非いらしてください。


プロフィール

agotonio

Author:agotonio
1973年、埼玉浦和生まれ、AB型。
故俳優蟹江敬三氏を追い続けている。イッセー尾形氏のひとり芝居にあこがれ農大劇研で芝居を始めた。トムプロジェクトの養成所に入り、人生の指針が動きだした。
新日本プロレスをこよなく愛す。
俳優。

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