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血の繋がったもん同士

 飯田から80を過ぎているおばが東京にでてきたので、昨日一昨日と家族で囲んで外食をした。おばは東京の駅やら階段の多さに苦労していたもののまだまだ若い。昨日の昼間はおばと帝国劇場へ「細雪」を観賞してきた。おばの為に銀座へ行き、お菓子やら裏道にあるお箸の専門店で箸やら箸置きを買ってプレゼントしました。昨日そのプレゼントを開けてみたおばから箸が使いやすそうでいいと言ってくれました。僕もかなり箸は悩んだのだが、漆ぬったような凝ったのもいいが木の材質そのままの檜の箸が目に入り、飾り気無く優しい感じがしたので選んだ訳だが、おばの前では照れ隠しのつもりで『500円くらいの安いもんだけど』と口にだしてしまった。と、すかさずかあちゃんに『そういうのは値段はいわなくていいの!』と突っ込まれる。
 で、かあちゃんとねえちゃんもプレゼントを用意してて、おばがその場であけるとマフラーだった。これがまたその日のおばの服の色にマッチしていていい。おばも喜んで御礼をすると、かあちゃんが一言『いいえ、安売りしてたんで』。と、すかさず、ねえちゃんが『そんな事言わなくていいでしょ!』と突っ込まれる。違う意味で悲しくなった。そして、僕は初台に帰り、みんなは実家に帰った。時間が止まって欲しい時とはこういう時だな。
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ひとりよがりかひとりよかれか

 個性なのかひねくれているのか気づいたら、みんなと違う事ばかりやっていた、というか選んでいた。幼稚園のときはみんなゴオーカートに乗って競争している脇でままごとをひとり楽しんでいた。小学校では、少年野球チームに入るも同じクラスからは僕一人だけだった。小学五年の一年間だけ福岡に転勤した時は登校拒否が多く、担任と友達が心配して家まできたことも。水泳が兎に角苦手で学校が終わったあと、僕一人の為に近所の室内プールで先生に特訓してもらうこともあった。中学では、クラッシュギャルズにハマるもクラスでこれまた僕一人盛り上がってた。当時はファミコンブーム、しかし僕は一人セガのゲーム機を新しくなるたび買い換えてた。当然ゲームの貸し借りもできずひとり買い集めてた。キン肉マン消しゴムがはやり、一人家でプロレスごっこに夢中でした。高校も友達と受けた高校が僕だけ行けず、中学からは僕一人だけの高校に行く。高校では山岳部で同学年は一人だけになり部長を自然とやらざるを得なくなった。一浪した時は仲間と予備校通うも皆敗北。二年目は敢えて一人違う予備校に通う。やっと大学入ったら一人芝居やりたくて、演劇研究部に入る。で、大学卒業して初めて外でやった芝居が一人芝居の『HITORI』。あくまで、役者は個人商品をモットーに劇団所属をさけてきた。一度ユニットにお世話になるも自然消滅。色々学びました。
 家からでれない人間が『芝居やるなら家から出てけ!』という父親の一言に覚悟をみせて、一人暮らしを始めてここまで継続中。一人日帰り温泉、一人高尾山、一人カラオケ・・。一人魂みたいなモノが根強く付いてしまってます。違う世界を見てみたいもんだ。

迷ったときはいつも

 毎度のことながら、芝居をしてないと心が弱ってきてしまいます。今は特に行動を起こす資金もなく、ある程度のお金は人間やはりもってないとどうしようもないと実感。家でじっと読書をしてきたが、息詰まり散歩にでた。近所の代々木上原まで自転車であてもなく走らせてたら、いつも気になってたとあるビルの二階のCafeの前を行ったりきたり。外観しかわからないがシンプルな看板に惹かれていたお店。こういうとこは500円はかかるから、今の財布事情から、また今度と諦めかなり帰りかけたとこで、ふと最近亡くなられたスティーブジョブズの言葉を思い出す。『今日、死ぬとしたら・・』、勿体ぶってもしょうがない、発見が何かあるかも。急に元気がでて、店に一直線。まあ、乏しい勇気であるが。店に入ると、小さなフロアーにアートチックな席が3組と壁に段差のあるカウンターのみでアートな飾り付けがところどころにあるシンプルな内装。客は僕だけ。店主は全身白の民族衣装ぽいのをまとった僕と同年代ではないかと思われる男性。この店主は「いらっしゃいませ」ではなく「こんちわ!」で迎えてくれた。カウンターに座りアイスコーヒーを頼む。後は静かな空間でノートに思いつく事を走り書きすることに没頭。15ページくらい書いたとこで、今の自分が別れ道の前で悩んでいると仮定して幾つもある道の先に行ってみる。しかし、何も見えてこない。行ってもしょうがないのになんで迷ってるんだと気づいて別れ道の手前に戻った矢先俳優蟹江敬三さんの顔が突然浮かびあがる。そこで、一気に僕の迷いは吹っ飛びました。芝居を始めたきっかけも、トムプロジェクトに入ったのも、今ここまできてるのも蟹江さんと共演すること、そして蟹江さんのような存在になること一心でやってきた。最近はまた何がなんだかわからなくなってたのは、その気持ちを忘れていた。節目節目で気持ちを盛り立てるのは蟹江さんでした。今回は今までになく辛い時期でしたが、原点に帰り余計な事は考えずただ蟹江さんに近づく事、じゃあどうすればいいかだけを.考えていきたい。そうすれば、自ずと導かれてくるはず。なぜなら、蟹江さんに夢中な時は充実していたから。
 行きますよ、蟹江さん!!!

あの時だからこそ

段々長く生きてくると、世の中の進化というものを実感せざるを得なくなる。ま、分かりやすく言うと「昔はあ~だったのに今はこんな安い」というような。例えば、僕が高校時代に一生懸命貯金を貯めて買った21インチビデオ内蔵ブラウン管テレビ”テレビデオ”は当時十六・七万。今では考えられない値段で購入した。そんだけの金があれば、海外旅行に一週間は行けていたのに・・という話である。兎に角“モノ”が安くなったということ。それと共に技術も進歩してるので、今のように手軽に動画をとれるカメラなんかも学生時代はなかったわけで。だから、若い人は子供の時から親にカメラ向けられて撮られ慣れてるし、形や声が残るというのはある種うらやましい。もっと言えば自分らの親なんて若い時は写真と文でしか生きた形跡を残せてないのだから、尚更僕らが今からでも声やら残る映像に残してあげておきたい。
 で、自分の話だが、そんな便利なカメラなどない二十代の後半、一人旅でオーストラリアのケアンズに旅行に行きました。なぜ、ケアンズかという話もしたいが今回は省略します。僕はそれまでにニューヨークやイギリスに旅行は経験済みでして、その経験から写真は撮ってきたが折角行くのになにか形に残せるモノはないかと考えました。当時は八ミリビデオなんてのは流行ってたけど、まだコンパクトでなくかさばって邪魔になるということもあって、思いついたのはカセットレコーダー!!はい、CDのまえに主流だった代物です。旅行中の音をカセットに録音しておこうという考え。手軽にスイッチを押せばいいのであの当時では我ながら思いついて良かったかなと。早速、出発前の飛行機内、飛び立つ飛行機のエンジン音、現地についてホテルまでの送迎車内でのガイドさんの声、ホテルの前にあったバーにいったときに店内で生ライブしてた歌手の歌声など。そして、今回の旅の目的でもあったバンジィージャンプ時の実況。これも話すと長くなるのであれですが、今回僕がバンジィーする時の約束として、跳ぶ前に言ってもらいたいことを友達に決めてもらっていました。その一言というのが『素人童貞』。決して深い意味はありません、ただそれを叫んで跳んでくれと言う約束。旅の恥はかき捨てというより、友達との約束を果たすためなら別に抵抗もありませんでしたし(結果的に日本の恥にはなりましたが)。そこで、その叫んだ証拠に役立ったのがカセットレコーダー。たまたま移動中のバスで知り合った日本人女性に頼んでジャンプ台の横にいてもらい、僕がまさに跳び台に立ったとこから録音してもらいました。バンジィーは一回跳んでしまえばあっという間に終わりです。だから、僕は係の外人さんの『スリー・ツー・ワン・トベー~』というかけ声にも怖い半分まだ跳んだら勿体ない半分の気持ちで、高さ60メーター強のそんな高いという程でもないものでしたがなかなか跳べないでいました。周りの空気もあるのでそろそろ行くかと決心して、『スリー~』のかけ声を待ちいざ『素人童貞~!!』叫びました、気持ちよく、で跳んでるはずが、係のおっちゃんに命綱をつかまれてて、まだ跳ぶなのジェスチャー。実は記念写真頼んでて、横にいたカメラマンにポーズしろと・・聞いてないよ!全く約束の言葉はもう無駄になってしまった。ただでさえ、見物人があいつは何を言ったんだみたいな変わり者扱いの空気。同じ言葉は言えない、どうする?おっちゃんが『トベ~トベ~』煽ってくる。仕方ないこれしかない。決意を新たに僕は跳びました、というより形は跳ねましたでした。で、友達との約束も忘れずに果たしました・・・『アマチュア・バ~ジン!!』・・僕がとっさの苦し紛れに発した言葉です。バンジィーも気持ちよかったけど、今回の旅行の目的を果たした清々しさといったら最高でした。そして、肝心のカセットを録音しててくれた女性に感謝して、音を確認してみました。『素人童貞』も『アマチュア~』もしっかり録れていました。そのあとには、『Oh、NO~』と言って失笑している見物人の声とともに。
 旅行から帰り、友人にその記録カセットを聞かせました。彼は喜んでくれました。
 そのカセットは今でも大事に保管してます。たまに聞きなおして、あの時の情景を思い出してます。映像で残せてたらまた違う嬉しさがあるんでしょうが、あの時代のあのカセットだからこそ覚えてる味わい深い音の記憶は、今のデジカメには出せない最高の思い出です。

怖いもの知らず?(後編)

 ダラダラ続いて書いてます。さてこのお店なぜ有名なのか、単刀直入に言うととにかくヤクザさんがいらっしゃる店だったんです、はい。まあ、歌舞伎町のど真ん中に位置してますから当然と言えば当然なんですが。店内発砲、殺人で何度もニュースになってます。僕もその場に出くわした事もあります。組同士のけんかで一人がキッチンに入りでっかい包丁をもちだしたりもしてました。血がついた客席のとこはあからさまにブルーシートで隠して次の日から営業という恐ろしい店です。どこの組の方々とは言いませんが、人がいないから早く入ってと頼まれて出勤してた夜八時代は広い店内がその組の方々、上は組長クラス下はチンピラさんまででびっしり埋まってたもんで、いや~怖いのなんの。会合に毎週うちの店が使われてました。そんな方々が一斉にいらして頼むのはクリームソーダやチョコレートパフェ。このギャップに一度癒されるのもつかの間、早く出さないとキレられます。その場に立ち会ってしまった店員はこの時間だけチームワークを発揮し、アドレナリン出しまくってサービスしてました。この時頼もしいのがビーン似の部長さん。慣れたもんで、騒動があると間に体を張って割ってはいります。部長とよばれるだけあります。
 世間知らずな僕が今考えてもゾッとする行動をとろうとしたことが二つあります。ひとつはチンピラさんは態度悪い方が多いのですが僕がその日接客した人は明らかに苛立ってて、店に来て早々なんか言ってきたけど聞き取れずそのままいたら、水が欲しかったらしくいきなり怒鳴られる。こっちも頭きたのでふてくされながらテーブルに無愛想に置いて来たんですが、そのチンピラさんについては後ほど知る事になるのですがヤクザ雑誌の一面を飾るほどの歌舞伎町では有名な一匹狼さんでして、時には片足ギブスでご来店な時もあり危険にさらされて生きてるかたでして、僕の.行動がもう少し.あからさまだったらと考えると恐ろしい限りでした。
 そして、もうひとつは常連のヤクザさんのなかには陽気な方もいらして、プロレスラーよりデカイおにさんとチャゲみたいなおもろいおにさんの二人組がよく僕のことを”つぶやき”(つぶやきシローに似てるから)とあだ名をつけてかわいがってくれてて、冗談なのかわからないけど『困ったことあったらいつでも言えよ』と言われたりもした。そんなある日、僕は舞台で借金でヤクザに追われる役をもらったので、役作りに思いついたのが、あのヤクザさん二人に軽く五万円くらいお金を貸してもらおうと。芝居の為と言えばこころよく貸してくれるかもと、ヤクザさんに追われる気持ちってどんなもんかを味わいたいばかりにかなり本気だった。本人の手前まで行き何度口にでかかったことだろう。わずかに理性が上回って口に出すことはしませんでした。『困ったこと~』の彼らの意味はお金が欲しければ○○○○○を紹介するという意味でした。僕が○○○○○か~逃げ足は速いけど・・。
 そんな店ですから、働いてた店員も個性的な人だらけで、確かにフレーズどおり楽しい人達でしたが。流石にうちの両親も心配しだしてたので辞める事にしました。今では、改装しておしゃれな喫茶店になってます。

怖いもの知らず?(中編)

 初の分割ブログになりました。まあそれだけ濃密な話である訳でご了承ください。さて、「広い店内で楽しい仲間と明るく働きませんか」のフレーズで飛び込んだのですが、まず洗礼を受けたのが当時常連客できていた団体さんの中の一人の女子に声をかけれてひどい目にあった話。その団体さんは若い人たちでリクルートスーツをいつも着て何やら会議だか雑談をいつもしてる人達で、きっかけは僕だったのですが、その中にいた金髪の子が飲んでいた飲み物がまだ残ってたのに下げてしまい、ビーン似の部長の許可なくとっさの判断で新しいのを出したのですが、その早い動きに好感を持ってくれたのか、向こうの『電話番号教えて』といういきなり発言で電話番号を交換してしまった。なかなかかわいらしい女子だし、お客と店員でそんな経験もなかったので舞い上がってしまった僕は、早速何者かも知らないその女子と昼間高田馬場で待ち合わす約束をする。僕も大人ですから、こんなうまい話はないなと半信半疑この女子の正体も知りたいという好奇心がそうさせたことを一応皆様に弁解しときます。ほんとなにも知らないまま待ち合わせてました。さて、待ち合わせて来たその金髪女子は色っけない例のリクルートスーツでした。で、まずは駅横のファーストフードでお茶することに。何も計画してなかったのでまずはお茶ですわ。と、5分もしないうちに『じゃ、行こうか』と彼女が言ってくる。マジ、(え?!どこへ!!)である。とにかく僕もこの時まで相手の素性を一切聞かないでこの先の未知なる世界を楽しみたい事しか考えてなかったのが事実である。まあ、いろんな想像をかきたてますが、言われるままに彼女について駅沿いの道を5分くらい歩いてとあるマンションの下へ。と、彼女が急にそわそわしだす、『なんか緊張して手に汗でちゃうね』と一人自分だけが知っているこの先のことにテンパっている。なんとなく、僕もこの金髪女子以外の第三者がこのマンションのどこかで待ち構えてるのだなと察しが付く。僕は『そういうのだったら帰るからね』と前置きをする。漠然としているがもう80パーはわかった。向こうも先ほどと明らかに様子が違う。『大丈夫だから、大丈夫だから』うながされエレベーターに乗り、ある一室へ。入ったその部屋は一瞬学習塾を思わせる殺風景なつくり。しかし、明らかに学生らしき者はいない。いるのはスーツを着た僕よりちょい歳上かおない歳くらいのおにさんが二・三人いるだけ。と、優しい笑顔で導かれテーブル席に座らされると、一見普通のフレッシュサラリーマンっぽいおにさんが目の前に座り、なにやら資料を僕に見せる。そこには、電動マッサージソファーの写真が・・・あ、やはり・・そして後ろを振り返るとさっきまで一緒だった金髪女子はもういない。引っ張りましたが、ねずみこうの巣窟にまんまとやって来てしまった僕でした。そこで帰ればいいものの僕は、目の前のカタログについて熱弁する彼の話を聞きそのあと口説きに入る彼に逆に僕が俳優論を熱弁して、『そこまでおっしゃるのなら・・』と相手を納得させて巣窟をでてきたのは三時間後でした。それから数日間、店には一味らしき人達がいらしてましたが、あの金髪女子には一度も会いませんでした。
 これが入って早々に出会った話。また次回へ。

怖いもの知らず?(前編)

 最近刺激が足りない生活を送っている。ので、刺激という言葉にふさわしい経験をひとつ。今では新宿に5分ででれる初台という大都会に住み慣れているが、僕が都会にでるきっかけになった、知るきっかけになったのは歌舞伎町の一角にある某有名喫茶店にバイトし始めたからである。二十代後半にさしかかり一度はあの歌舞伎町という世界で働こうと単純に思い、バイト雑誌でさがしてたら『広い店内で楽しい仲間と明るく働きませんか?」というフレーズでその店が求人していた。怖いイメージばかりの歌舞伎町でもあるとこはあるんだなと即決めで現地へ面接に。歌舞伎町の中でもまさに繁華街の中心に位置していたその店に入ると確かにデカイ店内。そして、70年代のイメージを彷彿させるレッドのソファーや豪華なシャンデリア。これが歌舞伎町なのかと。店長らしき人(実際この店には店長というのはいず、部長という”部活か!”と突っ込みを入れたくなるよくわからん立場の人)と面接をした。動きと顔はMrビーンで髪型が西部警察の大門刑事に似た二癖ありそうな人でした。朝から京王プラザの朝食の仕事と掛け持ちしたので、終電前から閉店の朝まで入るシフトで約三年間働きました。新宿駅を跨がって東口と西口で寝ずに働いてた訳です。そして、夢の新宿、憧れの歌舞伎町での夜中の労働が始まりました。と、ここまででこんなに長くなるとは計算違いでした。ここからが本題なんですが、続きは次回のお楽しみで。
プロフィール

agotonio

Author:agotonio
1973年、埼玉浦和生まれ、AB型。
故俳優蟹江敬三氏を追い続けている。イッセー尾形氏のひとり芝居にあこがれ農大劇研で芝居を始めた。トムプロジェクトの養成所に入り、人生の指針が動きだした。
新日本プロレスをこよなく愛す。
俳優。

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