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トークショー

 プロレスラーの前田日明選手、天龍源一郎選手、藤原喜明選手のトークショーに昨日行ってきました。プロレスを知る人なら、この三人の名前を聞いただけで「え!すごいっ」と思ってしまう奇跡の組み合わせなんです。前田選手は格闘王といわれたカリスマで、もう引退して若い格闘選手を戦わせてるプロデューサー的な立場になってますが、天龍選手藤原選手は60歳を過ぎてもまだ現役でやってるんです。天龍選手は日本人であの猪木さん、馬場さんの両巨頭からスリーカウントを奪ったことのある唯一のプロレスラーで最強でした。前田選手、藤原選手はプロレスラーですが、UWFという関節技や蹴りを中心にした格闘団体で一時代を築いたりで天龍選手とは関わらないまま来てしまったのですが、間違いなく「前田対天龍」というカードが実現していれば・・と残念に思うプロレスファンは大半でしょう。その御三方が背広とはいえ揃うというのだからどんな話が出るか興味深々でした。渋谷のとあるホールに百人ちょっと集まってた感じでしたが女性は二桁いなかったのでは。
ほとんど、30、40代の洒落っ気のなさげな男だらけでした。
 入場料がそれなりにしたもので、藤原選手などは兎に角お客さんに満足してもらおうと当時の裏話をどんどん話してくれてお客も大盛り上がり。中味は本人もここだけ!と念を押してたので教えません。そんな中、藤原選手にしろ、天龍選手にしろ体を張ってなんぼと言ってたのが印象的でした。八百長とよく言われるけどそんな目でしか見れない人が可愛そう。試合して亡くなってるレスラーも居ると言う現実を知れば、彼らが命懸けてるのがわかるはず。彼らの人生を否定してる発言だと気づかせてあげたい。
 前から言ってるけど、芝居(特に舞台)とプロレスって通ずるものがあるんですよね。彼らはリングに命懸け、役者は舞台に命懸けてる(全員ではないが)。ある意味、プロレスラーって最高の役者だとも思うんです。キャラクターは出来てる、体も出来てて跳んだり跳ねたりできる。ユーモアもあるしあの人達が舞台にたったら全部持ってかれるなと思うくらいキャラクターの見本にもなってます。実際ゴツゴツした人達だらけの舞台だったら暑苦しいだけだけど、僕らの中に一人プロレスラーが混じってたら、とりあえず釘付けでしょう。だから、絶対勝てっこないけど、彼らから学ぶこともたくさんあるんです。
 昔も今も僕はプロレスが変わらず大好きですが、男性に限らず女性の方ももっともっと観てもらいたいな~と常々思います。来年も恒例1・4新日東京ドーム大会もあります。また、どんなカードになるか楽しみでしょうがないです。
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ドキドキ

 刺激的な日々を送りたい。と、最近特に思いつつドキドキする事がないな~とボヤボヤしています。緊張することはいくらでもあるのだが、ドキドキが全くこない。記憶に甦るドキドキは、かなり遡って一浪して、町田の東進ハイスクールに通っていたとき見掛けた同じく浪人生の女子とすれ違う時だった。はい、一目惚れ目です。目がぱっちりで彫りが深く、ちょっと化粧濃いめのショートカットヘアーがすごく似合うファッションセンスもいいモデルやってる感じの子。あの当時はタレントの吉本多香美さんをキツくした感じのイメージを抱いてました。聞いた話では沖縄から来た子だということ。確かに沖縄っぽい。残念だったのは、向こうは理系で僕は文系だったのでほとんど授業が一緒にならない。いついるかもわからなかったから、偶然階段とかですれ違ったりした時は大変。目があっただけで体が凍ってしまうというか固まってしまう感覚です、速凍してました。大体見掛けた時は一人で歩いてたのですが、校舎では男子と仲良くいることもみかけるようなり、どれだけ嫉妬したことか。恋愛経験なんてありませんでしたから、遠くからくやしがることしか才がなかったのです。
 そんな何もアプローチすらできずにいた僕にも最大のチャンスがありました。いつものように、あの子はいないかと講義してる教室をドアの窓から覗き歩いていると・・発見!!あの後ろ姿は!!!もうドキドキ。居る事は分かった。それだけでうれしくなってたのですが、とりあえず、隣が空き教室で誰もいなかったので、そこで自習する事にしました。一番後ろの席に座りました。ドアはあけっぱなしにしてたので、あの子が勉強している教室からひとが出てくるのがわかりました。終わったみたいで、出てくる人をチェックしているとあの子がでてきました。向こうもこちらを一瞬見たのはわかったけどそのまま行ってしまいまし・・いや戻ってきたのです!!僕だけしかいない教室にあの子は一度行きかけてから、一人で入ってきたのです。速凍です。なんで?という疑問と”えっ”もしかして向こうも僕に気があったのか!?と一人頭の中が噴火してました。ここでひとつ皆さんに確認ですが今の僕を想像しないでください、学生時代の僕の容姿はまだマシでしたので。
 あの子は前の方に座り自習しだしました(多分勉強)。だれもいない教室に2人だけ。こんなシチュエイションを与えてくれた神に感謝。目の前にあの子がいるのだから勉強どころじゃありません。どうする?どうしたらいいんだ俺?!!しばらく葛藤してました。もしかしたら、あの子も話しかけてくるのを待ってるかも・・・と一人戦ってると、まさかの展開。浪人仲間がいきなり入ってきた。え、どうしてここでだ。彼も恋愛には全く縁のないタイプだったので力にはなるまい。一言で”邪魔者1”が来てしまったのである。何も知らない彼は僕の隣に座りいつものようにしゃべりだす。聞いてるフリしてあの子のことを考えてると、もうひとり男子が入ってきた。あの子とよく一緒にいるのをみかけたことがある。”邪魔者2”の登場。しかし、あの子と何やら話してすぐでていった。羨ましい~、あんな風にあの子と話せたら・・。よし!あとはこの”邪魔者1”だけだ。と僕の気持ちもわからず”邪魔者1”はひたすらしゃべりかけてくる。と、そのあとすぐあの子は結局こちらは一度も見ず、教室を出て行ってしまった。残ったのはモテない男2人がいつものように並んで座っている光景。今にして思う最大のビッグチャンスを僕は話しかけることすらできず、何も起こせなかった「あの日」を後悔している。自意識過剰な僕ですが、一目惚れした子にもしかしてもしかしたらがあったかもなのに一言も話しかけれず、向こうの声すら知らないまま浪人一年間は終わりました。勇気をだして予備校の担当講師にあの子のことを尋ねてみましたが名前も知らない人で、講師が力になってくれるわけもなく。それ以来あの子が理系の優秀な大学に入ったか、また浪人したのかすら知りません。当然、勉強どころでなかった僕は立川の河合塾で辛い2浪目の年を過ごしました。全くの親不幸です。浪人時代に恋愛は禁物とは誰が言ったか知りませんが、恋愛にもならなかった自分はそれ以下でした。でも、トータルで考えた時にあの後農大に受かって芝居の道を確率できたのだからそういう流れになってたのかなと。ただ、これだけは言えるのは思ってるだけではだめで、一言でも発していかないと事は始まらないという事。あの教室でのドキドキはこれまでにないほど相当でした。

一言の重み

 我がアパートの通りに明るいおじいちゃん2人でやってる小さな八百屋があり、いつも店の前を通る時は挨拶を交わしていたし、たまに野菜を買いにいくと安くしてくれたりしてくれる暖かい八百屋さんが、昨日でどこかへ行ってしまいました。昨日通りがかった時店内がさっぱりしていて”あれ?”と思いつつも気にかけずいたら、今日店の前を通ると店内は工事で取り壊されていました。隣にマンションの建築現場があるので、土地を売ったのかも。昨日までの初台に来て5年一寸の間ずっと見て来た馴染みの風景が一日で消えてなくなりました。昨日通りかけた時、一言でも話してれば良かったと何気ない一言を交わせなかった昨日一日を後悔しました。 
 何気ない一言から思い出したのは、僕が大学を卒業して俳優として初めてお金をいただいてやった公演『HITORI』。タイトルの通り一人芝居だったんですが、元々芝居を始めたきっかけもイッセー尾形さんの一人芝居が大好きで僕もやってみたいと思って農大の演劇研究部に入りました。そして、大学時代に通い出したダンススタジオの先生が僕の人生を左右させた松本敬治さんであり、彼が”僕の一人芝居をやりたい熱”をくんでくれてやろうということになり、早速下北沢のとあるホールを借りてくれて話はトントン拍子で進みました。松本さんも僕も恐いもの知らずでしたので。そんな時にうちのかあちゃんが言った一言。「一人芝居なんかできるの?やめといた方がいいんじゃない」。芝居経験もない自分の息子がいきなり一人芝居をお金とってやるというんだから、心配するのは当たり前なこと。あそこで心が揺らいでいたら今はなかったろう。でも、あの時の僕には恐さは全くなかった。一人芝居をやれるという幸せ、実現するまでに十年はかかると思ってたのに、松本さんのバックアップで勢い付いていた。勿論、簡単に行けた訳ではない。稽古場がないから、都庁の横の橋の下で演出を任せていた劇研仲間に自分の作った話をやってみせると、これじゃダメと台本を変える様言われる。そこで、自分だけ満足してただけだと気づかされ焦り出す。僕は芝居も碌にできないのに脚本、演出をひとりでやろうとしていた。そんな現実に気づいた時には公演は近づいている。そんな時に救ってくれたのが、同じく劇研仲間で留年して丁度部活に参加していたショウカで忙しいとこ無理言って脚本を考えてもらい、そこに僕も話を味付けして劇研の部室や広間を借りて練習した。ショウカにちゃんとみてもらいたかったが、彼も部活の脚本、演出をしてる時期で合間をぬってぐらいでしかみてもらえなかったので、他の芝居仲間を呼び出して都庁の横でサラリーマンが通るとこで通し稽古をみてもらったりもした。あの時は路上でやる事の屈辱感を味わされたいい経験になった。敬治さんに仕上がりをみせる日があり、わざわざ農大に来てもらいショウカ立ち会いの元、全然出来上がってない通しをみてもらった。一通り終わって、敬治さんの顔を見ると笑顔はなく無表情だった。そして、僕が小道具をかたづけてる横でショウカに『これおもしろいの?』と素で聞いていた。落ち込んだ。でも、ショウカは『いや、おもしろいですよ』と初対面の敬治さんにも臆することなく言ってくれたのが有り難かった。稽古期間もろくにないまま公演前日、ショウカにうちに泊まって貰い、夜中の公園での稽古に付き合ってもらう。そして、当日のホールに入る前の貴重な時間も下北沢の線路沿いにある空き地でマンツーマンで芝居を見てもらう。そして、ショウカの『よし!!行ける』という一言を最後にもらい、いざホールへ。ホールでは準備してすぐ本番のひと公演だったので、プロデューサーであり音響の敬治さんの音チェックだけで開場した。お客さんも身内大半ながら、50人以上来てくれました。狭い楽屋でショウカが見守ってくれて僕も捨て身で出し切りました。気づいたら、皆さんの笑顔をいただきながら客だしをしていました。御見送りを終え、ホールに戻ると敬治さんは受付の子と精算していた。僕が近づいていくと敬治さんは『つよし、凄いよ尊敬するよ』と考えてもなかった最高の言葉をいただいた。芝居には馴染みのない敬治さんに僕の芝居の力を少しは見せられたなと、そして、ショウカと僕の力を見せれたなと。そのあと、打ち上げだったが敬治さんは参加せず、ショウカも何も言わず帰った。翌年も「HITORI2」というタイトルで敬治さんにプロデュースしてもらいました。ショウカは卒業して、今では人材派遣会社の社長をやっているくらいだが、二人で芝居ユニット(透明ライオン)を立ち上げたり、一徳会の公演なのに”ひとり八つ墓村”の時も脚本、演出を仕事終わりに携わってくれたり今後も僕の芝居人生では欠かさない存在になるとおもっている男です。がむしゃらに向かってたら一生を共にするだろう仲間と出会っていた。
 周りの言葉に惑わされず自分を信じて突き進んだら、最後に今でもあの時の声のトーンまで鮮明な記憶で残ってる師匠の言葉が心の支えとなって僕に勇気をくれている。

気づいてきた

 積み重ねって大事。継続って大事。このごろ、全ては繋がってるんだなと実感してきてます。20代って経験ないから、兎に角分からないけど自分のやりたい方へ進んできた。辛いことや失敗だらけだけど、それが逆に励みになり、じゃあどうしようと考えて前へ進んできてるうちに30代になり、分からないことだらけで恥かいてでもめげずに前進してきた20代が実は役に立ってて、人より何も知らなかったから色んなことにぶつかってこれたなと。知識が豊富な人って羨ましいけど、情報だけで知ったかぶる人間になるのは一番つまんないなあ。体感してなんぼでしょ。知らない事を馬鹿にする人は苦手。知らないからこそ、そこから始まるんだから。今も知らない事だらけだけど、知らなきゃまずいこともあるだろうが、恥かいて自分で経験して体感するスタンスはいつまでも貫きたい。この頃気づいたのが『元気の気は気持ちの気』だということ。体が丈夫なのも気持ちからであり、行動起こすのも気持ちがまず生き生きしてないと体は動かない。当たり前じゃんと思うかもしれないが、本当に心から分かって言える人って少ないんじゃないかな。怪我とか色々してきたし、人に傷つけられ傷つけて痛みがわかりそれが多ければ多い程、ふと気づかされたり色んな本読んで納得したり。経験ってどんどんお金だしてでもするべきものですよ。お金関係なく究極に足りてない僕の経験は恋愛ですが・・・。

視野は広く

 今日、以前紹介でださせてもらった自主映画の監督さんの新作に出演する為現場に行くと、前作の知ってる顔もいたが、ほとんど知らないメンバー・・のはずが話していくうちに共通の知り合いがいたりでなにがしかつながっている人達がいた。今回に限らず、芝居の現場やバイト先で思ってもみない知り合いに出会ったりすることが多々ある。それを踏まえ今日ふと思った事がある。こういう状況に出会うとよく『世の中狭いね~』と言い合ったりする。今日も実際出たのだが、本当にそうなのか?確かに偶然な事にしろ、それこそ芝居を観に行けば見た事も聞いた事もない劇団のチラシがパンフに折り込まれていて、劇団ひと公演のチラシにこれまた見た事もない顔の芝居する人の顔写真がうじゃうじゃ写っているのをみると、俳優のレベルはバラバラだろうに気持ち悪いほどの方が芝居をされてるなと同じ世界にいる身として嫌になる。そのうえ、映画やテレビを専門に活躍されてる芝居されてる方を含めたら想像を絶する。だから、思ってもみないとこでつながるということが実は、世の中が狭いのでなく、自分の行動範囲が狭いから出会うべくしてであっているのではないだろうかと思った。もっともっと広いはずなのに、ある範囲内でしか廻ってないから出会うので、”世の中が狭い”という勘違いに甘んじているとそこで終わるなと気づいた。そんなはずはないんだ。出会うなら、第一線で活躍されてる方々に出会いたいし、その一人にも会ってないでどうして”世の中が狭い”なんて言えるのだろう。自分の生きる世界を狭めてるようなもんだ。そういう言葉を簡単に発する人は要注意だし、自分も簡単に『世の中は狭い』なんて言えない環境に常にいるよう心掛けたい。

芸の肥やし

 お金払うのさぼってたら、インターネットとめられてました。当然だわ。今日も知り合いがでてるパントマイムの公演をみてきましたが、自分が芝居に携わってない時って兎に角お金がでてきます。家庭を持ってないから使えるお金に制限がないし、知り合いが増える程それに比例して宣伝メールやらが増えるのも仕方ないことですが。自分にも課っしてますが、例え知り合いでも一度は観に行きつまらなかったら次は観に行かないようしてます。本人の為にもならないし、お金をとってやってる限り許せないとこはシビアにいきます。僕なんか、ギャラどうのこうのいう舞台にはまだ関わってないので、自分が面白いと思う舞台しかでないということとジャンルがかぶらないことを気をつけてます。毎回観に来てくれるお客さんに飽きさせてはいけないし、好みもひとそれぞれだということを念頭に取り組む姿勢は芝居始めた当初から変わってないです。劇団に入ってない人間の強み
ですが、それだけ個人の力で勝負する覚悟も半端ないです。
 亡くなった僕の師匠松本敬治さんに昔言われた「芸の為なら金は惜しむな」と言う言葉は今でも心掛けてます。使えるお金がある限り、興味もったことにはお金使います。習い事もそうだし、芝居以外にもアンテナは張る様にしてます。先日も芸術家ボッチンの版画展を観に行き、そこで知り合ったお客さんが”鬼の右腕”というバンドで活動してるという女の子でボッチンが気にいってたのもあり、なら間違いないと思い先日そのグループのライブに行ってきたら、即ファンになってしまいました。15日にまたライブをやるそうなんでいくつもりです。生活も大事だけど、この世界で生きてくと決めたのだから、センスを磨かなきゃ意味ないでしょと貯金がたまらない言い訳にしてます。
プロフィール

agotonio

Author:agotonio
1973年、埼玉浦和生まれ、AB型。
故俳優蟹江敬三氏を追い続けている。イッセー尾形氏のひとり芝居にあこがれ農大劇研で芝居を始めた。トムプロジェクトの養成所に入り、人生の指針が動きだした。
新日本プロレスをこよなく愛す。
俳優。

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