電車に乗リ込んだら、目の見えない杖をついた若い男女が後から乗り込もうとしてきた。発車のベルが鳴っている。間に合うかヒヤヒヤしたがなんとか二人は乗り込めた。座席に座ろうとしたが、人にぶつかり遠慮してしまう。男性が「すぐ着くから立ってよう」と女性に話し掛ける。女性は男性に時折甘えた感じでじゃれていた。
二人の動向が気になったが僕が先に降りたので、その後二人はどうしたかはわからない。二人は友達以上の関係だったかもしれない。でも、見えないのである。二人が共有している世界はどんななんだろう。いつから見えていないのか、生まれた時からなのか、突然見えなくなってしまったのか理由はどうあれ二人の会話にはどこまで共通した世界が頭に写るんだろう・・果てしなく想像を絶してしまった。
そんな心配をよそに二人は仲良く寄り添って二人だけの空間を築いていた。僕らは目で見て感じて、言葉にだして、笑ったり怒ったりすることを当たり前の事として生きている。でも、これが当たり前でないことだと実感した時、”生きる事の意味”を少し理解するのかもしれない。見えることで余計なことをどんどん考えてしまう。見えなければ考えなくてもいいことがどれだけあるだろう。単純に僕は視力が落ちてきてレーシックで視力を回復させた。まだまだこの世界をはっきり見たかった以外のなにものでもない。あの二人はまぶたに写る一面の黒色の中に、相手の声、手触り、臭いを元に僕らが想像できない絵を頭の中に写しているのだろう。でも、『笑顔』だったのだ。どうして笑顔が出せるんだろう?逆に笑顔が出せる機会はいくらでもあるのに、毎日笑顔を出せていない我々の方が不幸なのではないか。彼らは彼らの世界を精一杯生きている。我々は言葉に出して相手の顔を見て、笑わすことができる。僕は小さい時から口数は少なかった。家族とも話す方でなかったし、一人でいることが好きだった。今も家に帰れば話す相手がいないから結局、”話す”という行為は僕自身少なく生きてきたかもしれない。だとすれば”笑った回数”も少ないのかも。笑い顔のきれいな人に憧れる。口角が上がって見える。印象が違う。今までは人の事等考える余裕がなかったが、人に会うと笑顔になれる様、相手も笑顔になれる様なそんな日々をやっと暮らせてきてる気がする。目の前の小さなことにいちいちつまずくことほどアホらしいことはない。もっともっと先にある大きな存在を常に心に抱いている懐のデカイ人間でいたい、というかいれるはずだから。
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実家にホンノちょっとですが帰ってきました。散歩がてら家から歩いて二分のとこにある母校の聖が丘中学やら、その先の商店街を軽く歩いてきました。のどかで穏やかとはこのことを言うんだなと肌で感じる緑に囲まれた歩道と鳥のさえずり、そして歩いている人が老夫婦をたまに見掛けるくらいなもの。平和すぎる光景です。多分、二・三日で僕は落ち着かなくなるでしょう。悲しいことに都会の生活に慣れてしまいました。
我が遠い後輩が授業を受けている中学のあの時と変わっていない校舎に背を向けて、通学路のベンチに腰掛けて佇んだ。本当に緑ばかりが目に入る。地震が起きてもここは丘の上だし安全だろう・・。ふと横の太いケヤキを見て、こいつらはいつからここにいるんだろう・・・なんて柄にもないこと考えてしまった。もちろん、僕が中学生でここに通ってた時もここに立ってたわけで、地球の生命のたくましさを感じた。あの時から、どれか一本でも気にして毎朝通って挨拶しては、帰りにまた挨拶してその木の成長を見続けてたらなんか良かったな~なんて。向こうはず~と同じ場所で生き続けている。僕の成長も見てたかもしれない。
人間は地球を自分たちのモノとして考え生きてきているが、その考えは愚かで、なんだかんだで生き残るのは植物達なんだ。災害にも負けないのは当然なのだ。欲に溺れることは不幸だ。緑に囲まれて風の音、木々の揺れる音、空気を吸ってひと呼吸置いてみることの贅沢を我が実家に帰れば出来る。そんな環境に恵まれたことが有り難い。
花伝の岡田さん、インド舞踊のプラパードによるワークショップが終わりました。今までも色々芝居のワークショップに参加しましたが、今回程説得力のあるものに出会ったことはありません。そう感じれたのは、積み重ねてきたことがうまく対応できたというのもある。基本、二人の講義の共通してるのは体ができててきついとこまで追い込んだとこから始まる。本来はここまでは当然備えてなきゃいけないレベルなのである。
言葉でいうのは難しいので省略。知らないまま終わるのか知って先へ進むかのいいきっかけになりました。もっと早く出会ってればとかは思いません。ここまできたから出会えたのであり、このタイミングで出会わなければ、単なるワークショップの一環で流されてたと思う。”遠回り”したから得たものだと言えるよう、実践でためしていきたい。
今回この機会を紹介してくれた石井君、そして講師の岡田さん、プラパードに感謝!!
一徳会の石井君の紹介でインド舞踊のワークショップに参加してきました。土臭い異文化の芸術を経験したくてしょうがなかったのだが、去年ボッチンの紹介でアフリカ太鼓のジャンベに触れてきた。そして今日は待望のインド舞踊に。習い事はジャズダンス、日舞、殺陣とやってきたが、いずれも芝居の幅を拡げる為の目的意識が強かったが、今回は自分の人としての幅を拡げたいという意識が強い。
今回のワークショップの為に来日したインド人の先生に見よう見まねと通訳を通して、型をひとつひとつ学んで行く。とにかく全身を駆使してアクロバチックにクネクネ動く。ひとつひとつ動物等の動きを真似ていて、「象」「ライオン」「鳥」「蛇」「魚」とイメージの踊りを速く連動させることで格闘色の強い踊りへと変貌する。僕は足を垂直にあげたりするのには限界があり先生の動きには程遠いものだったりでしたが、要領は得ながら楽しめました。午前中の2時間くらいをみっちりやって、すっかりTシャツがビッショリになってました。
参加者はみんな普段から体を動かしてる感じでみんなついてきてましたが、素人がいきなりやってもついてけないレベルのことやってたと思います。僕も何気について行ってましたよ(ちょい自慢)。今日は基本の流れを教わり明日から除々にレベルアップしてく予定。と、しかし僕は明日から参加できないのです!!今日だけっ!さわりで残念ながら終わってしまいましたがついていけたという事で体の応用ができたなと。
また、個人的にワークショップ見つけて是非習い行きたいです。二度ほど貧血になりそうなほどハードでしたが楽しかった~。
昨日、高尾山に久々行った。ブランクあってもなんとか32分の平均タイムで頂上到達。小学生の遠足日で頂上には子供でぎっしり。普通の登山者の座り場所がないほど。持ってきたおやつを出してる姿を見掛けて、かなりノスタルジックになった。遠足にもっていくおやつはチョイスにこだわってたな~と。
帰りについでに八王子に寄りました。どうしても食べに行きたいラーメン屋がありまして。僕は高校が西八王子にある八王子高校でした。あの頃はボンタンはいたヤンキー高校で大変でしたが僕が卒業した次の年から校舎もキレイにして、いつの間にか進学校になりました。その当時の仲間と帰りによく寄っていたのが、京王八王子駅の先頭改札から地上に出てすぐにある『御殿』というちいさなラーメン屋でした。とにかくつけめんが最高にうまいんです!!今のこってりスープでなくどっちかというと酸味が強いクセになるスープがどこにもないんです。高校時代から20年たった今も店内も変わらず、味も変わらずやってるのが凄い。”本物の店”ということだろう。流石に当時の店員さんではないけど、忘れられない味を続けてくれているのが有り難い。いつまでも変わらずにいて欲しい店である。
夕方から一徳会が神楽坂で舞台をやるので、自転車で高田馬場から早稲田通り経由で向かった。と、実は東西線早稲田駅降りてすぐのとこに昔僕が通ったトムプロジェクトの稽古場がありました。25・6歳の頃の事です。あの当時の出会いが大きく今に繋がってる訳で、顔をみれば「あっ、この人!」とわかるテレビで活躍してる
人や、今年時の人となった演出家や、今でも心の通じ合える素晴らしい仲間がいたなと自分の選択は間違ってなかったといえる思い出の地にも自転車で通りました。今はフラメンコのスタジオになってました。でも、入り口はあの当時のまま残ってて嬉しかった。感傷に浸る訳ではないが、自分の辿った痕跡がまだ残ってることは自分を振り返るのに貴重な証拠としてこれからもあり続けて欲しいものだ。誰でも思い出の地があるように。大切にしたい思い出である。
近所のビデオレンタル屋がいつの間にか閉店してました。よく利用させてもらってたけど”納得の閉店”でした。理由は知らないけど、店員の雰囲気が暗いというか感じ悪いというか・・。店長ぽい人と、バイトの若い男、そして、女の子の3人で廻してたのだが、みんな感じが悪かった。店自体は悪くなかったがいかんせん、客があまり入ってなかった。店の経営とか知識はゼロだが、一番大事なのは熱意じゃないのかな。店員に魅力感じなきゃ、寄り付かないよ。店やるなら基本的なことなんじゃないのかな。
昨日、久々に横浜の店で働いてきました。ゴールデンウィークとあって、来店客はいつもより勢いなかったので、自ら率先して呼び込みをしました。飲食店が連なってる通りなので、路上には呼び込みのバイトさんがひしめきあってます。エンジンのかからない僕をあざ笑うかのように、人気のお店の呼び込みさんは次から次へと通り掛かりのお客を店に吸い込んでいく。バイトだし、2ヶ月ぶりの仕事で店のウリも把握してないまま路上にとびだしても無理かなと一度は諦めかけたが、そこからが僕の長所というか開きなおってからパワーを発揮して、呼び込みの原点を考えてみました。お客の立場に立ってどうしたら関心を持ってくれるかを第一に考える。第一印象に尽きる!!とにかく親しみのわく笑顔、ノリ、声、ガツガツ行き過ぎないフレンドリーな馴れ馴れしさ・・。先ほどまで横取りされていた人気店の呼び込みさんが余裕かましてる隙に店の前の看板を詮索してるお客さんをみつけては、さっと話し掛ける。迷ってる感があればこっちのもの。お客さんと一緒に考えるスタンスと自分の店をさりげなく推すバランスが大事。一組捕まえると面白いもんで次から次へとお客さんが捕まえられる。頻繁に人が歩いてる訳じゃないから、確率的には3割位で成功したのでは。結果的に2時間くらい路上で頑張り、カップル4組、6人の団体さん、4人の団体さんそれぞれ1組来店してもらいました。
その日の売り上げにもちろん貢献度は高かった訳で。店員さんにもめちゃくちゃ感謝されました。仕事のできるできないとかって何を判断にするかはそれぞれ違うけど、人と同じことやってるだけじゃなんも魅力ないし、自分が出来る事に力を注ぎ、周りを助けたいという愛情がまたパワーを与えるんだと思う。
お金稼ぐことひとつにも意義ある時間をすごさないと無駄な気がするので、僕はこれからも色々学んでいける環境に自分を置いてくことを常に心掛けてます。
役所広司、佐藤浩市・・「最後の忠臣蔵」見ました。予想以上にじわりと切なさが込み上げるいい映画でした。見といて良かった。
新宿駅の切符売り場で外人カップルとすれ違う。と、振り返るとその二人に全く不釣り合いな日本人のおっさんが楽しそうに話している。あれ、ホームステイ関係の知人かな・・でも明らかにカッコがダサイ、外見が汚いというのか。ちょっと変だ。様子を見てるとどうやら案内してあげてるようだ。あ、親切なおっさんか・・と思った矢先、さっきまで笑っていた外人さんから笑みが消えたと同時に財布から小銭を出しておっさんに渡して別れた。チップをせがまれたのだ。親切に教えてくれたと思いきや、最後に金をよこせと言うんだからびっくりだ。おっさんはチップを貰うと、すぐそばに居た二人の外人男性にターゲットを絞る。「メイ アイ ヘルプ ユー?」と話しかけては一緒に地図を見て、二人を誘導して違う改札まで案内するとまた金をせびった。そして、また新しいターゲットを見つけに人混みの中を消えていった。
無性に腹立たしかった。あんな汚いおっさんに騙される方が悪いと言えばそれまでだが、困ってる外人さんを見つけては勝手に話しかけて、優しくしといて最後は金を要求する。あんな悪行に味をしめて親切をふりまいている光景はとても恥ずかしかった。日本の観光ガイドブックに是非『親切おじさんに注意』といれておくことを薦めたい。同じ日本人なら外見で近寄りたくない汚いおっさんは外国人には分別がつかないらしい。外見で人を判断してはならないと言うが、判断して欲しい人も居る。まさにそんな事実を知った瞬間でした。
ジーパンズ第4回公演「冷たい唇、温かい箇所」好評に終わりました。観に来ていただいた方には改めて御礼申し上げます。そして、公演に携わったスタッフ、キャスト、事務所の方々皆さん温かくとても楽しい現場でした。皆さんお疲れ様でした。
今、静かです。心も周りも。急に、以前買って一度読んだが訳わからんかった太田省吾の「なにもかもなくしてみる」をもう一度読み直したくなった。早速はじめの数ページで訳分からん。でも、根気よく読んでみようと思う。そして、さっき花屋で緑がぎっしり詰まった植物を買ってきた。この二つの行為はなんの心境の現れなんだろう。また、邪魔者であるバイトが始まる。生活はまた元に戻ろうとしている。でも、脳がなんとか反抗しようとしてるのかもしれない。部屋の掃除もせねば・・というかアパートの更新時期は一ヶ月に迫ってきたのになんの通知も来ない。どうなってるのか。というかここは出たい!!でも、行きたいとこが見つからない。ぐだぐだだ。あと、二年いっちゃうのかな~。その途中で出てるかもだし。そしたら、僕も40歳。なにがしかの結果が出てるだろう。絶対もうここは居たくない。
今回の公演中に見つけた言葉。『3つのK』~感謝・謙虚・コンプレックス 僕の中で大事にしときたいキーワードである。