また水泳を始めてる。今回は水中から肩を出さずにブレないで歩く訓練をしている。要は歩くという動作のスローモーションを水中でやってる感覚。下半身を凄く意識するし、呼吸も気を配っている。これをやってどうというのはないしが、思いついたから続けてみる。そのあとは泳ぐのだが、元々超苦手だった水泳を自我流でたのしく泳げるまでに来てはいるものの、技術アップが望ましい。体の使い方が基本下手だ。全く力まずに無に近い状態にまで持ってけるが、すぐ乱れる。水と相性が悪過ぎなのか。
ふと、魚はあの小ささでなぜあんな早く泳げるのだろう?と考えてしまう。水の中がホームグランドだから当然といえばそこまでだが、それは別としてうまく泳いでるではないか。ではもっと言うと、先日愕然とさせられたのがカエルだ!!指の第二関節にもいかない小さなカエルが野原で鳴いていたのだが、どこにあれほど周囲に響かせられるパワーがあるんだ!!『ゲロゲロ』と鳴いていたかはどうでもいい。横隔膜をフルに使ってるのだろうが、遠くまで響き過ぎだ。人間である自分が対抗したら負けるのではと、圧倒的に体が大きいのになぜもっとうまくからだを使えないのか悲しくなった。小さい体で出来てるのだから、自分達人間はもっともっと出来ることがある、というかやつらは何気に凄いんだ。
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勿体ぶっていた『ハリーポッター』の映画をラストまで見た。おもしろい映画というのは言葉に出す必要がない。パート1から見てきて全部に言えるのが、全く賞味時間を感じさせない”あっ”という間に終わってしまうということ。無駄な気持ちを介入させないで集中させられる”うまさ”がある。シリーズものは見終わってしまうと淋しいもので、また、それ以上におもしろい作品に出会うことを要求させられる。長いアメリカのTVドラマシリーズで唯一見ている『LOST』も終わってしまうとやなので、勿体ぶって見ずに居たらいつの間にか気持ちも遠ざかっていたので、旬なうちに見ないといけないのだが・・。
話は変わり、携帯でメールするようなってから、電話をすることが本当に少なくなった。今日、近所の新国立劇場で明日からやる舞台に出演するある俳優と電話で話した。昔、舞台を一緒させてもらって知り合ったもののそれ以来連絡とってなかったのだが、今回新国立の稽古場にいるとこを散歩中に見掛けてお互いに気づいたのがきっかけでした。久々の人と電話で話すというのもなかなか乙である。もちろん、彼が出ている今回の舞台を見に行く予約をさせてもらった。この頃思うのが、思いがけない人からの電話ってすっかり来なくなったな~と。たまには、着信見て”えっっ”とドキドキする電話ってのも欲しいもんだ。休みの日なんか特に余計なこと考えてしまうからいけない。不幸な知らせは当然ヤダけど、意外な人から突然電話きたら元気でるんだろうな。待ってないでこっちからしろ!!と言われそうだけど、想定してない人からもらうのと想定してる人に電話するのとでは違うんだよね。便利になった分、なんか”いいこと”が失われていってるのが切ない。
フェイスブックで昔デートしたことのある女子を検索したら辿り着けたので友達に承認してもらった。近況を知りたかったから情報を見たら、交際してる人の欄に婚約中と・・。なんか置いてかれた感がドット来た。こちらの勝手なのだが、あの時もっと頑張ってれば・・と未練タラタラな思いが沸き立った瞬間ビールが飲みたくなった。今既に缶ビール3本目である。あれだけ可愛かったのだから相手がいて当然である。どうのこうの言う権利はない。というのも、先ほど押し入れを掃除してたら、その女子からの昔もらったはがきを発見して、ふと連絡とれるかなと。フェイスブックの凄さを実感したのだが。思えば、その女子に出会った瞬間から僕はエンジン入ってたな~と。23くらいの時だ。夜その子に電話してデートに誘い、うまい具合に実現してしまった。モーガン・フリーマンが大統領役やってたディープインパクトをみてお茶したもんだ。でもデートはその一日で終わり。自分がわからん。丁度、芝居に目覚めてた時期だったからそれどころではなかったということだったのか。
わからんよ自分が。ただ、言えるのは舞台の上で死ねるように生きたい・・無駄死にはしない。
先日、ボッチンの版画アニメワークショップに参加してきました。厚画用紙で自分の考えたオリジナルキャラをつくり、そのキャラの目やら足やらパーツの動きパターンのコマもつくり、あとはボッチンの自由な発想で動画にしてもらうという流れ。昼の一時から五時までノンストップでキャラをつくり、パーツをつくり絵の具で色をいれるという作業をした。終了時間ギリギリで完成させた。改めて、僕は地道につくる作業が苦にならない人間だと実感。その時間をかけてできた版画をボッチンがどうアニメ化するのか楽しみだ。ボッチンの版画アニメも彼のホームページで見れるので覗いてみては。
今日は高尾山に行きました。相変わらず頂上まで30分がきれない33分でした。ニュースで最近知った頂上手前に出来た豪華トイレを見てきました。有り得ません!山の上で水洗でした。トイレがズラリと・・。山ブームだからと客のニーズに応えるのはわかるが、一言言いたい。『気使い過ぎだろっ!!』アホだと思った。山は自然の象徴。山に登山客がどんどん来ればいい事です。でも、危険なとこでもあるんです。だから、だれでも、スカートやら普通の格好で来れる感覚にしてしまう今の”流行”がアホです。山にトイレがないのは当たり前。元八王子高校山岳部部長としてもの申しときます。
流行といえば僕はウンナンの全盛期以来、全くお笑いに興味がなくなりました。笑いに欲したらダウンタウンの「笑ってはいけないシリーズ」をDVD借りて見るくらいです。テレビも見ません。自分の気持ちに素直になって今の流行が本当の流行には思えないとこがあるんです。一発芸流行ってます。みんな流され過ぎなのではと。
CG映画が主流になってきました。みんな流され過ぎではないのか。時代が変わったからと言ってなんでもかえていいものと変えてはいけないものの区別だけは”流行”というつまらない言葉で見失わないように気をつけたい。
夜中の3時から4時半くらいの時間に起きているのが好きだ。たいてい5時に起きて仕事にいかねばならないから普段は寝ているが朝仕事がない日は寝ているのが勿体ない。これといってやることがないのだが、物思いにふける時間がまさにこの時だ。全く静かな時間。誰も歩いていない。部屋の間接照明を付けて静かな中にも聞こえる外の音を楽しむ。我が家は窓が広いので、月の光が射し込む夜なんかは最高です。
壁に飾らしてもらっている杉本一文氏が描いてくれた僕の金田一耕助をやっている時の似顔絵、トムの公演でやった絶対零度の蟹江敬三氏のポスター、我が亡き師松本敬治氏の形見であるジャージなどを眺めていると、自分がこれからどうしたらいいのかを改めて考えさせられる。
こんな時に横で話相手になってくれる人はいた試しがない。いたとしたら呑気に寝ていたタクマくらいだ。奴も今は仕事場がオペラから両国に代わり泊まりにくることはなくなった。ほんとうに一人になった。
ぶっちゃけ、憧れ焦がれてます。横に同じ時を感じてくれる人がいたら・・・。今更何言ってるんだと言う感じですが憧れますな~。よ~わからんけど常識とかって僕の生き方にはあてはまらないこと結構あるんでわかってもらえないとこなんですがね。こうしてる間に外が明るくなってきちゃいました。大好きな時間がまた終わります。今日も”もっと”大好きな一日になるよう生きます。
去年行けなかった飯田へやっと行ってきました。墓参りです。両親と3人で行く予定でしたが事情により僕だけでいつものように高速バスで行ってきました。おばちゃんは80を過ぎているのに耳が遠くなったくらいでまだまだ元気です。
おばちゃんの家は街を見おろす山の中にあるのですが、すぐ裏が子供の国でレジャー施設があり、かたやもっと上に行くと風越山麓公園という山奥のデッカいアスレチック広場があるのです。だから、おばちゃんの家に行けば、都会で楽しめる公園遊びを一気に倍楽しめちゃうという事です。しかも、規模が違いますし。この公園ですがとにかく人が来てません。別に人気がないとかでなく、飯田という街を象徴するのですがのんびりしてる街なんです。街を歩いても人とすれ違うことがめったにないんです。そんなくらいだから、山奥まで遊びに来てるはずもなく、毎回僕が独り占めしてます。風越山麓公園はほんと山奥なんで、そのもっと山奥までアスレチックがたくさん設けられてるので最後の方は完全に危険な雰囲気の場所です。一人で行ってはなりません。クマが降りてきてもおかしくないとこです。僕は気づいたらそこにいました。あそこで襲われてたら誰も気づかれないでしょう。誰も周りにいませんから。普通に考えて、人を獣と遭遇させるためにつくられた場です。夏になると猿はよく見掛けられる素敵なとこです。大学時代に劇研の仲間4人で遊びにきました。僕一人で楽しむにはほんともったいないとこなんです。山は静かです。匂いがいいです。夕方は散歩気分で子供の国へ。ここも子供達はとっくに帰ったみたいで、親子やぎが三頭と飼育員が一人いるくらいの静けさ。芝が整備された急斜面を歩くのが楽しい。登りつめると緑の向こうの隙間から飯田の街が少し覗けます。おばちゃんの家からも街が見えます。夜は山の静けさと遠くに見える街の少ない夜景と高速を走るトラックの音の響きが丁度心地良いのです。おばちゃんも寝て、電気を落とした部屋の中から出窓に佇むこと。今この時間、そして都会の生活を忘れられる今に思う事・・家族・将来・人生・愛・仲間・思い出・・誰からも邪魔されない時を過ごす。贅沢だ。
だから、長くは居れない、だって僕は早く東京に帰り闘わなければならないから。
金田一耕助の生みの親作家横溝正史の文庫本の表紙絵で有名な杉本一文氏の原画展が神保町の東京堂書店で昨日から開催されていて、今日はサイン会の日でした。勿論、行ってきました。会場には、杉本さんのいままでの作品の原画がズラリ、今回の為に復活した名作カバー文庫販売やら。その文庫を購入した人はサインをもらえるわけで、サイン会予定だった一時間ずっとファンが途絶えることはありませんでした。流石です。
僕が子供の時から描かれてたのに、今見てもその作風の新鮮さ、奥深さ、技術、想像力・・衰える事がありません。天才とあまり言う事がない自分ですが、まさしく杉本さんは”天才”です。そのような方と芝居を通して知り合えたことは幸せ以上のなにものでもないです。
以前杉本さんのトークショウに呼んでもらうというこの上ない光栄なことがあったんですが、その時知り合った杉本さんファンの年上女性のTさんと会場でお会いしました。Tさんも芸術家肌の持ち主でイラスト描いたり、舞台をよく見に行ったり、最近は土器にはまっててパワースポットに行きまくってる面白いお姉さんです。去年、僕が帯状疱疹になった時に心配してビタミン剤をくれたり、腹が据わるように土器を見たらいいと薦めてくれた方なのです。そのTさんが今日6月2日が誕生日だというので帰りがけにささやかながらお祝いの食事をごちそうさせてもらいました。いくつになってもお祝いしてあげたいですから。色々二人で話しましたが、Tさんに言ってもらったのが、僕は年齢以上の何かを持っている。なんか行きそう。と有り難い言葉を頂戴しました。一人の知り合いの「ひとをみる予感」というやつですがとても勇気を逆にもらいました。
その気になるというんでしょうか、たまにもらうこういう言葉って嬉しいですしこっちもTさんを大事にしようと思ういい日になりました。