自転車のタイヤの空気を入れて、栓のキャップをしようとしたらポトリとおちてそのまま2階から一階へポトリ。ガ〜ンです。夜なんでもう真っ暗見つかる訳もなく。さあどうしよう?予備はないし、ガムテープで塞いどく?しょうがないから、まだやってることを祈って隣駅の幡ヶ谷にある百円ショップへ電車で向かった。・・もう閉まってました。あ〜無駄足。マラソンついでも考えたが、また足の裏が痛いので走るのは避けました。電車で帰るのもなんなんで、歩いて帰りました。歩きながらガムテープで応急処置だ・・と決めかけたそのとき、近所の放置自転車のタイヤからいただいちゃえばいいじゃん!!と歳に似合わずヤンチャな閃きがわく。と、うちのアパートの一階に放置されてる自転車があったではないか!!もう一階は誰も住んでいない我がアパートに使われてない自転車がある事に気づきました。真っ暗な中で手探りでタイヤのキャップを探す。放置されてるだけあって、タイヤは完全に空気ぬけた状態でした。キャップ発見!!頂き!!早速、怪しまれることなく二階にあがり、我がチャリにあてがってみる・・・バッチリはまった。ハッハッハ、どんなもんだい!おもしろいな〜人生。小さいことだけど、トラブル発生・・さあ〜どうする?考える、動く、無駄だった、残念・・あれ!いい手があるじゃん!!ヤッター!!結果的にアパート出る事なかったじゃん(笑)。閃きが最後に実は身近に解決策があったこと。困ったことが起きたほうが人生って楽しいわ、ホント。。
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般若心経が全部言えるようになった。字の練習も兼ねて市販の練習帳を二冊目に入った。これだけ語り継がれてる絶対的なものがあるのだから何かあるんだ。というか、人間の、精神の全てがここにある気がする。
”ありのまま”に生きることが本当にわかったら、後悔なく生きれるのかも・・。僕は僕。誰某のようになりたいとか、真似したいとか・・って僕ではなくなるんだ。過去は過去だけど、ほんの小さなことから、大きな事全て今まで生きて来た人生ひとつひとつが僕の心を成長させて、その事があったから、次の行動を左右することになったわけで、全ては点でなく線でつながってるんだと思う。だから、今の自分がモヤモヤしてるのも、過去からの繋がりでそうなってるんであって、否定的になる必要はないのかもしれない。
周期的に松本さんの勇姿が映っている昔の映像が見たくなる。昨日も見た。人生は線なんだ。いつまでも、僕の中には松本さんが生きている。表現者としての全てを松本さんから教わった。その彼は若くしてこの世を去った・・僕を残して・・・。表現者は悲しみを背負ってナンボだと思う。人間の死をいつも考え、痛み、あがく日々。悲しみがあって笑いがある。死んだ人の分までと思って生きてきた。おこがましいけど、だってほんとにそうなんだから・・。松本さん、そして蟹江さん。この世にはもういないけど、忘れたくない。。人間って結局、死があるから生きてるんだから、人の死を感じて生きる事が人生なんだと思ってるから、僕は芝居もしてるんだ。
何気なくうどん屋に行ったら、会計の時にレジのおばちゃんがチラシを渡して来た。『見たら捨ててください。』。頂いたチラシは次の新メニューの予告でした。気づいちゃいました。<押し付けないこと>。僕らは芝居のチラシを配る時取っておいて欲しいという気持ちが混じっている。でも、見てもらって気になった人はいわれなくてもとっておく。こちらがそれを望む必要ってないんだ〜と。レジのおばちゃんの一言が僕のこれからに大きな”気づき”を貰えた気がしました。
般若心経・・世の中に無駄な物など存在しない!
今ブログを書いているパソコンの前には、蟹江敬三さんのサインが飾ってあります。99、5、31の日付で。その日はトムプロジェクトの「絶対零度」の公演で蟹江さんは紀伊国屋にいらっしゃいました。稽古生の特権で僕はお手伝いにきてました。その日の公演終わりに岡田社長に呼ばれて蟹江さんのところへ。社長にはずっと大ファンだと伝えてたので、気を使ってコンタクトを取ってくれました。緊張でどうしようもなかったけど、日記にサインを(色紙にすれば良かったのに)書いてもらうことだけは決めてました。
日記を渡すと、蟹江さんは関係ないページも見出しました。と、僕がその当時ファンだった松嶋菜々子のことを書いてたページを偶然めくられてしまい、「なんだ、松嶋菜々子か。」とぼやかれました。もっと好い事書いてあるページを見てくれれば良かったのに、相変わらずタイミング悪かったです。
ほんと、貴重なサインとなってしまいました。サインを書いてもらったあとに、社長が僕の為に何か言ってあげてくれと蟹江さんに頼んでくれて、さりげなく言ってくれた言葉が・・『近いうちいい事あるよ』・・。僕には近々蟹江さんと共演できるのかと思い込んでました。でもそれは実現しませんでした。あのあと、トムの「王将」に出してもらって佐藤二朗さんやクドカンさん松尾さんとご一緒させてもらったことが、”それ”だったのかも。
サインしてもらう日の前に蟹江さんと初めてお会いした時だと思うのだが、打ち上げで演出の鐘下さんと出演者の千葉哲也さんそして蟹江さんがいて、あと手伝いできてた俳優さん数名と僕だけの空間の時がありました。目の前で憧れの方がいるのだから、僕は興奮状態で脇でずっとモゾモゾしてた気がします。御三方はそんな僕を見て、『帽子かぶったら松坂に似てない?』みたいな話で話題にしてくれました。その時だけ蟹江さんの視線を感じれたのがとても幸せでした。*松坂は当時西武ライオンズでルーキーで大活躍してた投手のこと。
春日太一「なぜ時代劇は滅びるのか」(新潮新書)に気になる文が。『かつては小劇場からでも石橋蓮司、蟹江敬三、風間杜夫、柄本明といった時代劇で名演のできる役者も輩出している。彼らに共通しているのは、上の世代へのリスペクトをもって独自に研鑽を積んできたことだ。〜』・・そんなことは百も承知。小劇場の役者はなんちゃって扱いしているが、僕は小劇場俳優のつもりでやってきてなんかいない。役者に何が必要か、20歳で大学演劇始めた時からず〜と考えて、自分に足りないものを埋める作業をず〜と続けている。習い事は当たり前の事として習ってきた。
リスペクトしてなきゃ、僕は蟹江さんをひたすら追い掛けてこなかったろうし、亡くなられた今もこうしてあの方の事を忘れたりしない。能力、技術とかは劣ってるのも百も承知。そんなことより、僕だから、蟹江さんのようになりたいという強い思いで名優になる考えは誰にも負けはしない。。
もう随分経ちましたが、まだ元の声には戻ってません。困ったもんです。毎日考えてるのは、心の在り方。昔の記憶を辿っていくと、自分が活躍した事、例えば学校のスポーツ大会とかであの時の心境って無我夢中で余計な事考えてなかったなと。共通して言えるのはまさに集中してたという事。それで、活躍できちゃうんだから、集中力には自信もっていいのかも。今更ですが。でも、だからこそ、今やってきている芝居にも活かされてきたんだろう。
逆を言うと、弱気は大敵ということもわかる。弱気になる前に集中してないから弱気になるんだ。無我夢中なら弱気になる余裕すらない。結果いい方へ向かってたりする。だから、基本なんでも技術は必要だが決め手は心の持ちようが全てなんだといくことをこのごろずっと考えて生きようとしている。
一時期、脳についての本を読みまくったが、人間は外見はほんと見せかけであって全ては脳が支配しているんだ。脳と心を一緒の扱いにするのは危険だが、脳が一番であることは間違いない。本能と言うやつがあって、次に心がある。本能を素直に感じて動くことが人間らしさの理想であろう。そこに、生きてきたなかでの経験や知識を踏まえた心が左右する。つまらない経験や知識の多い人はきっといい生き方してないだろう。
自分が今どうしたいのか、なぜこの境遇なのか、周りに流されずになんとか生きていけるとこまでいくことができてから、またいい意味で人生半分きてしまった自分の有り様がはっきりわかるのであろう。そうあと10年経ったら、僕50歳なんです・・・周りどうこうじゃないんです!自分の人生は誰の物でもなく。僕だけのもの。死んでからじゃ遅いんです、自分の考えで生きることが全て。 僕らしく、人間らしく、今生きていること、限られた日々、周りじゃない自分で決めろ、もう若くないんだから。
じわじわジーパンズの公演が終った寂しさがきてます(遅い?)。そして楽日から一週間経ちますがまだ声が回復しません。バイトも休めないから、声無理にだしたりで声帯がおかしくなってるかも・・。ついこの間、足底膜筋炎の注射して体の悩みを解決したばかりなのに、これですからほんと笑ってしまいます僕のからだ。
しかし、舞台やってる間は色々な人に関わりますので、感じませんが終ってしまうとほんと誰ともかかわらないな〜と。もちろん、仕事してればいやでも現場の人達と楽しく過ごします。それはだれでもそうでしょう。家に帰れば自分から発信しない限りめっきりひとりです。誰でもそうだと言われそうですが、そんな域は超えてますよ僕は。話相手がこの歳になってもいませんから。ずうっと(ある意味自慢)。だ・か・ら強くなれるんです!今日からハードな筋トレも復活しました。基礎ができてるせいか、きっちりこなせました。
外見でいい印象もたれないので、中身では誰にも負けません。中身のことをアピールするのも得意でないし、そこまで僕に興味を持ってくれない傾向なんで、僕は舞台に全てをさらけだすんです。というか、舞台にたてば本物かどうかわかるはず。普段の生活でアピールしたって、舞台にたってつまらない人はすぐわかる。本物は語らずとも、舞台で語る。そのために普段は孤独を武器にする。いろいろ考えて、足りないものを埋めて行く。それが、僕の生き方。そろそろ、自分の武器を伸ばす時期かもしれない。
情けない。今朝起きたら、声が全くでなくなってました。こんなことはホント初めてのことです。おまけに、結膜炎にもなってました。なんとか気力で舞台を終えて打ち上げでお酒呑んだら一気に体が安心しちゃったんでしょう。そろそろ、大人な打ち上げ参加にシフトチェンジしなければですかね、辛いのは自分だし次の仕事に影響だしたら責任の問題になってくるし・・。でも、諦めないのが僕の強いとこ。今回はずっと役がおっさんということもあり、鍛えたからだを少しゆるめたかったことと足底膜筋炎で足がずっと辛かったので走りも筋トレもほとんど出来ない日々でした。しかし、注射して嘘だったかのように楽になりました。声がでなくなったのも運動不足かなと。また鍛え直します。人並みな筋トレでは体は負けます。負けないためには、その上を目指してやること。敢えて負荷をかけての筋トレ。もうずっと前からやってること。体を作っておくことは俳優として当たり前なこと。僕はプロですから。その上をいく頑丈な体にしとくには、辛い筋トレしかないんだ。高尾山トレもそう。過酷を敢えて選んでいかなければ、上には行けない。。。
だから、プロレスと芝居って似てるんです。体つくって、人にみられて、楽しんでもらう。そして、個人個人が切磋琢磨して闘っている。レスラーは強くて、格好良くて、気になる存在でいなければ消えていく。俳優も自分を磨いて、常に飽きられないキャラで信頼され続けるためにはどうしたらいいか常に自問自答していなかればいけないと思う。そして、リングでの結果が全て。舞台や映像での結果が全て。似ているんです。今読んでいるプチ鹿島さんの「教養としてのプロレス」双葉新書もプロレスが人生の模範だと述べています。
ひとつ、僕の中での話ですが、新日本プロレスというメジャー団体で新闘魂三銃士という期待された棚橋選手、中邑選手、柴田選手の3人が注目されてました。彼らがまだこれからという時期の新日本は丁度低迷期にあり、この3人がきっと盛り上げると期待されてました。そんな時、柴田選手は新日本を愛するからこそ、強い新日本を証明するために突然退団して、総合格闘技の世界に進出しました。その間に残ったふたりは新日本を支え続けて黄金期を取り戻すまでに盛り返しました。夢でもここに柴田選手が帰ってきたら最高なのにとずっと願ってたら、2年前にほんと帰ってきたのです。もちろん、残ってやってた側は今更なんだ!という空気もありました。ファイトスタイルも違うし、バチバチした闘いが続きました。でも、見る側は新鮮でより楽しめたのです。そして、ついこないだいがみあってた棚橋選手と柴田選手が闘い終わりにリング上で和解するという感動が生まれました。
長くなりましたが、僕も昔ある劇団にでているうちに主宰から劇団員にならないかとラブコールをもらいました。でも、入ったら自分が小さくなる気がしたし、他の団員を認めてなかったので断りました。外を見て俳優という商品になるまで・・いや、なった時に力になりたいとずっと思って。その間にその劇団の主宰は演劇界を代表する作・演出家になり劇団も大きな劇場でしかやらなくなるまでになりました。あの時誘いにのってれば今頃は・・と考えないといったら嘘になります。でも、僕は劇団員になる為に役者をやるつもりはなかったし、あくまで、本物の俳優になる為に色々経験して、世界を見たかった。もうそろそろ時期だとは思っている。柴田選手のように、帰る日がくることを野望に秘めながらひとり毎度のごとく震いたたせなければならない。
はい。ジーパンズ「空から降る小さな愛」終りました。ご来場していただいたお客様には改めてお礼を申し上げます。本当に終ってしまいました。明日からはもうリセットです。楽日の公演を終え舞台装置をばらして、打ち上げ会場に向かう手前の時間が一番幸せなんだと今日実感しました。打上ってしまうとお酒も入り、勢いで時はあっという間に経ってしまいます。気づいたら朝だ帰ろ〜となってて感傷に浸る間はありません。だから、打上る前のひとときがいいんです。今回はのどを完全にやられてしまい、二次会で朝までいるのは断念しました。頭も痛い。明日休みとはいえ辛い一日で終るのかな・・。
芝居の神はいました。演出には申し訳ないけど、最後の楽日で話のキーである小道具を用意するのを忘れるという失態を起こし、めちゃくちゃあせりましたが、咄嗟の判断でなんとか切り抜けました。人間の脳ってほんと凄いなって思いました。究極に追い込まれたとまでは言わないけど、想定外なことが起きても、脳が勝手に助けてくれました。勿論、役になりきってるから動けたというのもあるでしょうが。楽日まで何事もなく上手く成立させることが全てです。でも、個人的にピンチを迎えて対処できたことがのちのち大きな自信のひとつになったなと。演出すいません。ただの俳優にはならないからこそ、芝居の神様が試練を与えてくれました。有り難い限りです。うまくなんかやろうとしたくないし、こなしたくもない。毎回毎回が勝負。プロレスと一緒。俳優も常に戦ってなきゃ何も伝わらない。人生掛けてここまできた。ずうっと戦ってきた。楽しいなんて思ったことはない・・いやそこまで言い切れないがこれからも僕は戦う。
とりあえず、今回のメンバーのみんなよ、有り難う。また、会う日まで・・・。
心地よい緊張といい手応えですすんできたジーパンズの公演も明日の一公演になっちゃいました。これが生きてる証拠なんです。楽しいこともいつかは終る・・。楽しいことがこのままずっと続いたら、逆に人生の面白みは分からないし、谷あり山ありだから人生なんだ。じゃあ他の言葉で言い換えると、この2ヶ月間ひとつの舞台の為に生きて来た仲間と明日でキレイにお別れする。明後日からはもう次へ向かっている。だから切ないのだ。
相当のエネルギーを使ってきた。これは芝居をしている本人しかわからない。周りの人にはわからない境地だ。わかられても困るし。でも、その違いさえ多分わからないんだろうな。バイト先で随分長い付き合いになる同い年の知り合いが、今回人生で初めて舞台を観にきてくれました。楽しんでもらえたし、僕が意外にうまい役者だと発見してくれたらしい。普段の僕はどんだけダメな役者だとおもわれてたのか・・。印象って僕は損してるのはもうここでも何度も触れた。”どうせ僕は・・”って思うのは良くないというが、そうなんだから仕方ない。ホント第一印象で興味を持ってもらうことはない。『だから』人が見てないとこで・・いやみてくれてないとこで見返してやるという気持ちで色々動いてきたし、考え方も違うのは当然なんだ。出来て当たり前の上を常に目指してる。いつでも、ポンとでてこれるように準備をしてるんだ。第一印象だけで判断して、なめてる方にはそれでいい。ほんとに僕とつきあってくれる人には僕も恩返ししたい。人なんてそんなもんだ。特定の人しか大事にできないよ、それがほんとの付き合いだから。
なにが言いたいかというと、僕は本物の俳優です。そして、支えてくれた方々は大事にしたい。興味をもってくれない人には、こちらも相手にしないそれだけ。