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無性に

 重装備して、一週間くらい山に行きたい。今芝居に携わっていない僕は空っぽである。当たり前の話だが働かなければ生きていけない。だが、働く意欲がない。自分の気持ちをなんとかコントロールしながら、最低限の労働をしている。人間は十七歳の時の経験が後の人生を決めると聞いた事がある。確かに十七に限らず高校時代って一番濃厚な時期だった気がする。大人になる時期、就職・進学の分かれ道、生き方の選択を初めて迫られた時期だ。僕は、中学の仲間は誰もいないいわゆる滑り止めというやつでなんとか高校に受かったようなもんで、高一の時からクラスにいた嫌なやつにすぐ目をつけられ結局一年中そいつにつきまとわれた。そのあいだに、学園祭の準備中ただ踏み処が悪かっただけで膝を脱臼してそのまま、松葉杖で登校する日々を送ったり、バレーボール部に入ったが柄の悪い仲間ばかりで、夏を前に友達と辞めた。途中からまだ入れそうな運動部・・『山岳部だ!!』。山登りをしてみたいとわき上がってきた熱意で一緒に辞めた友達と入部する。予想通り先輩二人しか部員はいなかったが、顧問が実は山岳連盟でも有名な方だったので部室には本格的に道具が揃ってて、週末は色々な山へ連れてってもらった。と、そのうちに一緒に入った友が学校を辞めてしまい同学年一人になった僕がのちのち自動的に山岳部部長になる。二年になるとクラス替えになるので嫌なやつともお別れだと思ってたら、十三クラスに振り分けられるなかに同じクラスになるという不幸。とりあえず屈したくなかったので、学級委員になって早くクラスに馴染もうとした。学級委員にはすんなりなれたが不良さんのかたまりだったので、かえって自分の首を絞める事に。相変わらず嫌な奴のちょっかいが続き、流石に担任も心配してくれたが本人同士の問題として自力で対処する日々。一年の時でれなかった学園祭も三年の時にクラスで気球をつくることになり、山岳部のロープ技術が役にも立ち見事とばすことに成功した。あの時はみんながひとつになっていた。三年にもなると就職適正試験なんてのをみんなやってたが、僕は部活ばかりやってた。膝の怪我もあり、山に行けないときもあったが夏合宿で一週間南アルプス行ったり、冬の雪山に合宿したり、国体で山登りの競争に参加したり顧問がなんでもやってくれたってのが恵まれてたわけなのだが。だから、十七歳は山という世界を見てた時期というのが一番強いのかな。それで二浪して大学入って、社会人なるかと親も思ってたかもしれないが就職活動する気配なく芝居の世界に目覚めてしまうんだから、高校時代の経験が心の奥で何か植え付けていたというものなのか。十七の心がうずいている、山に行きたいと。

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プロフィール

agotonio

Author:agotonio
1973年、埼玉浦和生まれ、AB型。
故俳優蟹江敬三氏を追い続けている。イッセー尾形氏のひとり芝居にあこがれ農大劇研で芝居を始めた。トムプロジェクトの養成所に入り、人生の指針が動きだした。
新日本プロレスをこよなく愛す。
俳優。

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