しあわせ
中学時代のプチ同窓会があった。その同期がオーナーしている新宿のバーを貸し切りにしてくれて20人はいかなかったが、20数年ぶりに会うという奇跡。幼稚園のとき同じマンション住んでた所謂幼なじみの女子も来たのだが、小学校以降全く話してなかった関係での再会。向こうのだい一声が「綱吉君だっけ」・・。出ばなを挫かれた。彼女の家に遊び行った記憶が今でも鮮明に残っている。僕は早期の女子苦手症に陥り、中学でも知らんぷりしていた。彼女はとにかく可愛かったので(現在も二児の母だが全く変わらず可愛い)、当時の同期のモテ組男子との噂話を耳にしたりで、陰ながら幼なじみが誇りだった。
その僕の幼なじみ関係の記憶が一方的な思い出であったことをこの歳にして判明してしまった。彼女は同じマンションに僕がいたことすら覚えていなかった。のだ。”一方的な記憶”・・今回の同窓会でまたひとつ学んだ。『記憶はひとそれぞれ、思い出もひとそれぞれ』。自分が思ってることは意外と相手には伝わっていないということ。
でも、もう会わないだろうし、話す事はないと思ってた存在だったから、コノ場ができたことがうれしい。
同窓会はいつもとは明らかに違う空気。生き方も考え方も違う人達の集まりであり、共通するのは同じ歳ということと同じ学校で学んだという事だけ。気心知れた人達との呑みとは全然違うものであった。
僕は今の自分を否定しない。在りのままの自分を誇りたい。余計な事は考えないで自分を信じて生きたい。
その僕の幼なじみ関係の記憶が一方的な思い出であったことをこの歳にして判明してしまった。彼女は同じマンションに僕がいたことすら覚えていなかった。のだ。”一方的な記憶”・・今回の同窓会でまたひとつ学んだ。『記憶はひとそれぞれ、思い出もひとそれぞれ』。自分が思ってることは意外と相手には伝わっていないということ。
でも、もう会わないだろうし、話す事はないと思ってた存在だったから、コノ場ができたことがうれしい。
同窓会はいつもとは明らかに違う空気。生き方も考え方も違う人達の集まりであり、共通するのは同じ歳ということと同じ学校で学んだという事だけ。気心知れた人達との呑みとは全然違うものであった。
僕は今の自分を否定しない。在りのままの自分を誇りたい。余計な事は考えないで自分を信じて生きたい。
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