もう一度心に刻め
和太鼓習い始めたと思ったら今年は今日で稽古は終わり。もっとやりたかった。しかし、自分の”音楽脳”のなさに情けなくなります。普段使ってない脳をなんとか使えてる感じで、今回の狙いには促したかなと。まだまだ脳を使いたくてウズウズしてます。自分と同じ日に入会したブラジル人のルイスさんと仲良くなり、帰りも途中まで一緒に帰るので向こうの片言日本語とこちらの片言英語が入り交じった会話で英会話の勉強にもなって一石二鳥です。
先日受けた明治座のオーディションでは現地でダンスの振りを入れられて、次に殺陣の振りを入れられてそれぞれ試験があり、そのあとあらかじめ渡されてた台詞の試験があったのだが、ちゃんと覚えて行ったのにダンスと殺陣で脳がおかしくなってて、全く台詞が出てこないということがありました。リセットできるだけの”能力”がありませんでした。人より脳は小さい方だと認識してるし、考える力も弱いと自覚してたけどあの時のパンク状態には我ながら愕然としました。慣れもあるんでしょうが、商業演劇の世界の厳しさを知りました。だからといって明治座が全てだとはこれっぽっちも思わないし、俳優としての活かし方、考え方も違う世界な気がしました。一度受かってから言えとおこられそうですが。そんなわけで、脳をどんどん使いたくてしょうがないです。
なんでしょうね、今が生温い生活なのか、ここまで生きてきた中で、分岐点のような出来事が3つばかり思い出されます。一つ目は舞台『ひとり八つ墓村』の公演間近に掛かってきたダンスインストラクター高田聖子さんからの松本敬治さん訃報の電話。聖子さんが電話越しで号泣してたのが印象に残ってます。二つ目は映画監督の望月六郎さんと酒の場で喧嘩したこと。僕はその場に居れず夜中に店をでたのだが、自分がお呼びしてた俳優の佐藤二朗さんに見送ってもらったことはうれしかった。味方はいるんだと。そもそも、望月さんは酒癖が悪いので、次の日にはケロっとしてるそうだが、それ以来監督とは会ってません。冷静に考えてすごい方と喧嘩したなと自分をみなおしてます。3つ目、野外でやった『悪霊島』の舞台初日に終盤の長台詞をしくじったこと。天候も雨、寝不足、夜のぬかるんだ泥の足場など経験したことのない条件も重なってて集中力がプッツリきれました。頭が真っ白になり、なにも言えずになってしまい誤魔化すのも苦しい時をつくってしまいました。全てそこでぶちこわしです。終わったあとのみんなに顔あわすことのできない辛さ。天候の悪い中、足を運んでいただいたお客さまへの申し訳なさ。打ち上げには残ってたけど誰とも話せませんでした。あれほど辛い時間を過ごしたのは記憶にないです。いつもお世話になってる中塚さんが観に来てくれてて僕の気持ちを察して側にいてくれたのが本当に有り難かった。もちろん、彼にもあんな情けない姿見せたくなかったし、彼も見たくはなかったろう・・。その日は家に帰るのも辛かった。明日が来るのか・・誰も助けてくれない。自分で解決しなければいけない・・孤独だった。そして公演二日目。お客様は満席。やるしかない。と、しょっぱなからハプニングにあったりでしたが冷静に対処。そして問題の箇所・・無難に乗り切りました!!恐怖に打ち勝ちました。最後の打ち上げは気持ちよくあげれました。芝居人生終わりかと追いつめられた初日。そして、最大の恐怖に打ち勝った二日目。経験すべくして経験した地獄と天国。強くなれたと思う一方、初日に来ていただいたお客さまには悪い事をしたし、ダサい太平を記憶に残させてしまった悔しさを挽回していくのがこれからの目標でもあります。
これが、この頃記憶で甦ってきてます。
先日受けた明治座のオーディションでは現地でダンスの振りを入れられて、次に殺陣の振りを入れられてそれぞれ試験があり、そのあとあらかじめ渡されてた台詞の試験があったのだが、ちゃんと覚えて行ったのにダンスと殺陣で脳がおかしくなってて、全く台詞が出てこないということがありました。リセットできるだけの”能力”がありませんでした。人より脳は小さい方だと認識してるし、考える力も弱いと自覚してたけどあの時のパンク状態には我ながら愕然としました。慣れもあるんでしょうが、商業演劇の世界の厳しさを知りました。だからといって明治座が全てだとはこれっぽっちも思わないし、俳優としての活かし方、考え方も違う世界な気がしました。一度受かってから言えとおこられそうですが。そんなわけで、脳をどんどん使いたくてしょうがないです。
なんでしょうね、今が生温い生活なのか、ここまで生きてきた中で、分岐点のような出来事が3つばかり思い出されます。一つ目は舞台『ひとり八つ墓村』の公演間近に掛かってきたダンスインストラクター高田聖子さんからの松本敬治さん訃報の電話。聖子さんが電話越しで号泣してたのが印象に残ってます。二つ目は映画監督の望月六郎さんと酒の場で喧嘩したこと。僕はその場に居れず夜中に店をでたのだが、自分がお呼びしてた俳優の佐藤二朗さんに見送ってもらったことはうれしかった。味方はいるんだと。そもそも、望月さんは酒癖が悪いので、次の日にはケロっとしてるそうだが、それ以来監督とは会ってません。冷静に考えてすごい方と喧嘩したなと自分をみなおしてます。3つ目、野外でやった『悪霊島』の舞台初日に終盤の長台詞をしくじったこと。天候も雨、寝不足、夜のぬかるんだ泥の足場など経験したことのない条件も重なってて集中力がプッツリきれました。頭が真っ白になり、なにも言えずになってしまい誤魔化すのも苦しい時をつくってしまいました。全てそこでぶちこわしです。終わったあとのみんなに顔あわすことのできない辛さ。天候の悪い中、足を運んでいただいたお客さまへの申し訳なさ。打ち上げには残ってたけど誰とも話せませんでした。あれほど辛い時間を過ごしたのは記憶にないです。いつもお世話になってる中塚さんが観に来てくれてて僕の気持ちを察して側にいてくれたのが本当に有り難かった。もちろん、彼にもあんな情けない姿見せたくなかったし、彼も見たくはなかったろう・・。その日は家に帰るのも辛かった。明日が来るのか・・誰も助けてくれない。自分で解決しなければいけない・・孤独だった。そして公演二日目。お客様は満席。やるしかない。と、しょっぱなからハプニングにあったりでしたが冷静に対処。そして問題の箇所・・無難に乗り切りました!!恐怖に打ち勝ちました。最後の打ち上げは気持ちよくあげれました。芝居人生終わりかと追いつめられた初日。そして、最大の恐怖に打ち勝った二日目。経験すべくして経験した地獄と天国。強くなれたと思う一方、初日に来ていただいたお客さまには悪い事をしたし、ダサい太平を記憶に残させてしまった悔しさを挽回していくのがこれからの目標でもあります。
これが、この頃記憶で甦ってきてます。
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