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 慰め

 思い立ったらメールで『これからどうですか?』と寿司を食べに誘う先輩俳優さんが僕にはいます。回転寿司であったり呑みであったりですが。二十代後半にお世話になってたユニットに客演でいらしてた方で、僕より3つ上なのですがずうっと仲良くしてもらってます。昨日、久々にタイミングが合って、僕の大好きな成瀬にある「大喜」に行ってきました。
 僕と正反対でかっこいいし、芝居も出来る尊敬できる俳優さんですが、会うと何時間でも話がはずんでいい関係なんです。

 その方から”天才”と言われました。何かといえば僕がそのユニットで初めて主役をさせてもらった時の、僕の演技がだそうなんです。タイトルは『先生、ケツベンがとまりません』。。今思い出しても凄いタイトル。あの当時小劇場で流行った松尾チルドレンといわれる俳優陣の筆頭がいたユニットが、まさに僕がお世話になっていたとこなんです。だから、当時としては芝居もテイストも”脱力系”と評されて、一部では有名でした。僕もいつの間にか、松尾チルドレンの波にのってしまっていたのです。
 話は原因不明の病気で医者に死を宣告された主人公の僕が、そのあと心の整理をするために精神病院に行くんですが、そこで治療に来ている”愉快な仲間”との出会いが主なストーリー。。はい、ケツベンは出しません(笑)。
話の後半で、死を目前にした本人を前に保険の役員が手続きをとろうと空気をよまない行為をするので、そこまでのほほんとしていた僕がついに発狂するという結果的にクライマックスになったシーンがある。
 話が長くなったが、そこを先輩は見ての”天才”といってくれてるんだろう。実は、あの佐藤二朗氏もこの時の僕をみて、今ではプラチナ扱いの劇団”ちからわざ”への出演をオファーしてくれました。
 芝居技術なんてなかったのに、そういう評価をしてくれてるのは、僕の武器である内面からでる芝居をわかってくれたということなのでしょう。まさに宛て書きというやつで、僕の力を発揮させてくれた主宰さんの力は有り難かったです。

まあ、あの当時は精神は健康というよりほんと病んでましたから(笑)。それがいい方向で活かせてもらえました。
 舞台で初主役ということで、夜中に近所の神社でお百度参りならぬお百二度参りもした気合いでした。

 自分が天才だったら、どれだけの人が僕のまわりに天才がいるんだというほど、僕は天才とは縁がないと思いますが、先輩の俳優さんに”天才”と云われて悪い気分はしなかった、昨日でした。
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プロフィール

agotonio

Author:agotonio
1973年、埼玉浦和生まれ、AB型。
故俳優蟹江敬三氏を追い続けている。イッセー尾形氏のひとり芝居にあこがれ農大劇研で芝居を始めた。トムプロジェクトの養成所に入り、人生の指針が動きだした。
新日本プロレスをこよなく愛す。
俳優。

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